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温泉その11



咲花温泉・・・・・佐取館 望川閣

鯨波温泉・・・・・メトロポリタン松島

東山温泉・・・・・庄助の宿瀧の湯    会津若松巡り

あつみ温泉・・・・・公衆浴場

岳温泉・・・・・苦難を克服した温泉地

栂池高原温泉・・・・・夏は涼しく 冬は寒く

越後湯沢温泉・・・・・公衆浴場

越中金太郎温泉・・・・・日帰り温泉カルナの湯

つなぎ温泉・・・・・湯守の宿大観

五箇山温泉・・・・・くろば温泉

上山温泉・・・・天神の御湯 あづま屋





咲花温泉 佐取館・望川閣 sakihanaonsen-satorikan・bosenkaku

温泉名: 咲花温泉
源泉名:咲花六号井
泉質: 含硫黄 ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
     低張性 弱アルカリ高温泉
     pH 7.8  陽イオン 396.4㎎/㎏  陰イオン 741.1㎎/㎏
     成分総計 1163㎎/㎏

源泉温度: 50.2℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 露天風呂 源泉かけ流し  大浴場 加水加温 循環ろ過 消毒

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・糖尿病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 1000円 小人500円
      湯巡り手形 1200円/三軒 
      (湯元館・平左エ門・碧水荘・柳水園・一水荘・望川閣・佐取館)
利用時間: 9.00~21.00  要問合せ
休日: 無休


咲花温泉 佐取館
新潟県五泉市佐取3008
Tel: 0250-47-2211


阿賀野川に面して建つ咲花温泉で最も規模の大きい旅館。
浴槽も広くゆったりと入ることが出来る。
館内もきれいで家族連れで入浴される方におすすめです。

源泉かけ流しは露天風呂のみでその露天風呂はやや狭い。
その分源泉投入率が良好なので新鮮感があります。

佐取館外観

温泉成分分析書

望川閣外観

温泉名: 咲花温泉
源泉名:咲花六号井
泉質: 含硫黄 ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
     低張性 弱アルカリ高温泉
     pH 7.8  陽イオン 396.4㎎/㎏  陰イオン 741.1㎎/㎏
     成分総計 1163㎎/㎏

源泉温度: 50.2℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 露天風呂 源泉かけ流し  大浴場 加水加温 循環ろ過 消毒

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・糖尿病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 800円  湯巡り手形利用可能
利用時間: 9.00~21.00 問い合わせ
休日: 無休


咲花温泉 望川閣
新潟県五泉市佐取2869
Tel: 0250-47-1000


源泉は佐取館と同じ咲花六号井。
全浴槽源泉かけ流しとなっている(冬季の大浴場を除く)
眺望はやや川から離れているので佐取館ほど雄大さは感じない。
湯巡り手形も利用できるので時間が許せば立ち寄ってみては。
同じ源泉でも望川閣の浴槽の方が緑が濃く感じました。

温泉成分分析書

大浴場

展望風呂からの眺望

源泉100%の木札

露天風呂

源泉かけ流しお知らせ(冬季を除く)

浴槽の色

磐越西線 咲花駅

一水荘の浴槽

大浴場

露天風呂からの眺望

露天風呂

温泉と観光→温泉その4→咲花温泉一一水荘

一水荘 露天風呂

湯めぐり手形 1200円





鯨波温泉 メトロポリタン松島 kujiranamionsen-metoroporitanmatusima

温泉名: 鯨波温泉
源泉名: 鯨波松島源泉
泉質: ナトリウムー塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 8.3  陽イオン 851㎎/㎏   陰イオン1229㎎/㎏
     成分総計 2208㎎/㎏

源泉温度: 34.1℃

湧出量: 140/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒 かけ流し

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 700円
利用時間: 11.00~20.00 問い合わせ
休日: 無休


鯨波温泉メトロポリタン松島
新潟県柏崎市鯨波1828
Tel: 0257-24-5505


国道8号沿いにあるためか日帰りの入浴客が多い。
海を見渡せる大浴場があり、露天風呂は設置されていない。

海辺の温泉によくある食塩泉で、塩類の90%以上を占めている。
近くに海水浴場もあるのでシーズンには混雑するのかもしれません。
けた違いに成分の多い海水浴からの仕上げには軟らかくて良い気がします。

なお、ここから10㎞以内に東京電力の原子力発電所があるので、
中越沖地震の時は大変だったろうとおもいます。
福島の例もあるので、東京電力には聞く耳を以って対処してください。

温泉紀行とは話が横道にそれますが、ちょっと考えさせる問題なので一言。
原子力発電所の再稼働にはいわゆる「ストレステスト」なる文言が幅を利かせていますが、
安全に対しては意味のあいまいさ、結果のあいまいさが心配です。

「ストレステスト」に合格とは、どういう意味なのでしょうかね。
たとえば、安全基準は震度6で耐震基準合格の建築物の「ストレステスト」合格とは?
安全率の割り増しで、×1.2?×1.5 ×2.0? 津波に対しても同様な?

英知を集結し、安全基準の設定の見直しをする方が良いと思うのです。
つまり、耐震基準震度7強、津波高さ基準20m、建築物高さ海面20m以上、
非常用装置建築物海面30m以上と発電所安全基準を改定した方が安心できると思う。

今言われている「ストレステスト」は単なる設計者の自己満足的な。
基準耐久試験10万回はあくまで10万回で、20万回、30万回であってもです。
必要ならば基準耐久試験を25万回と改正すれば良いだけのこと。
そして、点検常時 修理修復交換を15万回で実施すればと思うのです。

原発廃止の方向性は誰でもが願うことですが、現実的にはまだ先のこと。
火力発電も国際公約25%減との日本の信用性も問われます。
水力発電も立地条件は限りなく少なく、各地で計画されている200~300kw規模の
揚水発電所も現実には原子力発電所の稼働が前提の発電方式でしょうから。

太陽光、風力の発電方法も、買取が高く設定されると設置できるところは潤いますが、
設置できない(資金がない)家庭は高い電気料金となってしまい貧富の差ですね。

原発は事故が起きるととてつもない被害と資金を伴うので、
廃止の方向で良い方法を見出す努力が求められています。

私的には風力の蓄積である潮力・波力発電などは有力ではないでしょうか。
素人が勝手なことをほざいて申し訳ありません。

外観

温泉成分分析書

大浴場

眺望

夕食

夕食

鯛茶漬け

新潟県一押しののぼり

JR鯨波駅 無人駅

ありがとうございました

朝食





東山温泉 滝の湯 higashiyamaonsen-takinoyu

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温泉名: 東山温泉
源泉名: 伏見ヶ瀧源泉・東山温泉管理組合2号源泉 混合泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ高温泉
     pH 8.3  陽イオン 549.2㎎/㎏  陰イオン 1123.5㎎/㎏
     成分総計 1716㎎/㎏

源泉温度: 45.2℃

湧出量: 318.6?/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒 かけ流し

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 うちみ ねんざ 慢性消化器病
     冷え性 疲労回復
     リュウマチ性疾患 高血圧症 運動障害 更年期障害 慢性皮膚病
     動脈硬化症 慢性婦人病 創傷 通風 高尿酸血症


利用料: 1000円 
利用時間: 12.00~20.00 
休日: 無休 (問い合わせ)


東山温泉 庄助の宿瀧の湯
福島県会津若松市東山温泉108
Tel: 0242-29-1000



会津武家屋敷より徒歩15分で瀧の湯につきます。
東山温泉入口に立地しているので他の施設はプラスαとしてください。

訪ねたときは大浴場と半露天風呂の浴槽が開放されていました。
庄助酒風呂は修理中らしく立ち入り禁止でした。

瀧の湯に沿って流れる湯川の硬い岩の川床が二段の瀧になっていて、
心地よい流音に浸ることができます。
旅館の名称もこの瀧に因んだものなのでしょう。

他の施設も立ち寄り湯を受け入れているようなので、
旅の途中の休憩がてらよってみるのも身体の癒しにはとても良いと思います。
東日本大震災の影響でしょうか、入浴者は二、三人でした。

瀧の湯

温泉成分分析書

大浴場

露天風呂

伏見ヶ滝

上部の雄滝(約5m)と下部の雌滝(約6m)の総称。
名の由来のついては、藤という娘が淵に身を投じたという説と、僧行基がここを訪れた際、
一夜にして滝が出現し「不思議ヶ滝」と呼んだからだという説があります。              案内説明より

伏見(フシミ)が藤身とか不思議からの変化とは到底思えませんが、謂れには素直でなくてはね。

庄助酒風呂

小原庄助は会津藩松平家祖の保科正之が山形藩より会津に移封のおり、正之に従った郷頭であった。
庄助は豪快な人柄で自由酒脱な生活を満喫できる立場にあったが、歌にあるような遊情な人柄ではなかった。

当時といえば「滝の湯」の温泉場が唯一で庄助さんも又滝の湯の良さを気に入り愛顧していたといわれている。
又、当館松島閣(名称変更あり)は庄助の縁戚にあたり、そこでの気安さにも格別なものがあったと思われる。
                                      瀧の湯 案内説明より

大釜の湯庄助風呂

 

特別料金 大人600円

一日バス周遊券 500円

屋敷回長屋

表玄関 (式台玄関)

家老屋敷 西郷頼母邸

西郷家は、会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職をつとめた千七百石取りの家柄であった。
江戸時代中期の和様建築の粋を集めた、豪華かつ壮大なこの家老屋敷は、敷地面積二千四百坪、
建築面積二百八十坪を誇り、三十八室もの部屋を擁していた。

四脚門や式台玄関、それに冠振りぐしに九曜の紋章をつけた鬼瓦などは、格式の高い西郷家ゆえに許された特権であった。

山嵐 西郷四郎銅像

会津武家屋敷

福島県会津若松市東山町大字石山字院内ー1
Tel: 0242-28-2525

入館正門

武家屋敷駐車場 台数も疎ら

   会津武家屋敷
我が国武士道の精華と謳われた会津士魂は中世封建社会の成立と、
近世の藩校日新館教育によって体系的に確立されたものである。

第二次世界大戦における敗北は民心に痛撃を与え、その後の社会の変化と相俟って、かっての堅実な士風も衰退し、
多くの文化財が散逸消失するようになると、会津特有の伝統精神を留めるのが困難になってきた。

そのような状況の中で、心ある地方有志は相集い、士道会津のかっての姿を後世に伝えるべき責務を痛感していたところ、
藩家老居宅の鳥瞰図を発見したのが契機となり、この復元計画が具体化した。

厳密な時代考証の下、信州高遠に現存する武家屋敷の遺構を勘案しつつ、綿密な設計と慎重な作業とによって竣工を見、
更に縁の建物とその一部を配したのがこの会津武家屋敷である。

   家老屋敷 (西郷頼母邸)   藩米精米所   土蔵 (会津歴史資料館)   中畑陣屋 (福島県指定重要文化財)
   茶室 (嶺南庵麟閣)   くらしの歴史館
                                      案内説明より






会津武家屋敷





会津若松巡り
      会津観光参考写真  温泉と観光→温泉その10→磐梯温泉

会津武家屋敷

松平家廟所

天寧寺  近藤勇の墓

飯盛山 白虎隊

会津若松城



    

西郷頼母一族の自刃の様子

慶応四年八月二十三日、西軍の侵攻は疾風の如くであった。
西郷頼母が登城した留守宅では、妻の千恵子を筆頭に一族郎党二十一人が、全員自決を遂げた。

この様子は、弾雨を避け西郷邸に入った西軍藩士中島信行が死にきれず息も絶え絶えの少女から介錯を求められ、
涙ながらこれに応じた悲劇を再現したものです。

   逆さ屏風
人が亡くなり、その葬儀の際に、遺体の胸に守り刀を置いたり、枕もとに屏風を立てたりしますが、
守り刀は死者が黄泉の国へ行く際に、悪霊を払う武器として、屏風は悪霊が来ないように壁としての役目を果たすとされています。

では何故、屏風をさかさまに置くかといえば、現在でも遺体の襟を男女逆さに合わせて着たり、
湯潅の際に水に湯を注いだりと故意に日常とは逆な行為をします。

このことを仏事では『さかさごと』といいますがこの『さかさごと』の一つとして屏風の天地を逆にして置かれます。
この事が、武士やその家族の覚悟の自刃の場合は、屏風を逆さにするという作法となりました。
                                                               案内説明より

西郷家婦女子自刃の間

回長屋の籠部屋

螺鈿の書棚

釘隠し 陶磁器製

中庭

風呂場

奥一の間 (家老の部屋)

御成の間 (容保公の接見)

御成り御殿とも呼ばれ、藩公や上級武士など身分の高い方々をお迎えした。
中は書院つくりで書院壱の間、次の間、茶の間、鎖の間などから構成されている。

これは、西郷邸を訪れた藩主松平容保公に家老頼母が挨拶している場面です。

   風呂場
風呂は桧造りであるが、竈がないので湯は台所で沸かし、手桶で運んで使った。
火災予防の上から、広い邸内で火をもちいるのは、台所に限られていたからである。

厠 外部

御成りの間専用の厠。
床下には砂を敷した箱車が、木製のレールの上に置かれています。
この箱車を引出し、健康状態を調べたのち、砂ごと後始末をしました。
砂を使用しているため、砂雪隠とも呼ばれた。

   厠 内部
ここは天井板がなく、敵が忍び込むのを防ぐためだと言われている。
この様式は、幕府の間者に対する備えとして、江戸時代中頃から始まった。
また、奥の方には畳が三枚敷かれている。

   奥玄関
家族の出入り口として使用された。
女中・使用人たちの出入りは、台所の入口が使用された。

厠 内部

奥玄関






会津藩松平家廟所

玄関

土間

旧中畑陣屋主屋 県指定重要文化財

   木造平屋建、寄棟、茅葺き、玄関唐破風  間口七間(13.46m)奥行八間半(16.29m)

この陣屋は西白河郡矢吹町中畑の地に、天保年間旗本松平氏の代官陣屋として創設されたものである。
明治維新後陣屋の廃止と共に同地の岡崎家が譲渡を受けて住居として使用し、さらに昭和四十九年に現在の所有者が譲り受けて、
現在地に移築復元したものである。

陣屋主屋は簡素ながら床、棚、書院などをはじめ、次の間、玄関式台に至るまで書院つくりの形態を良く示し、
二つの座敷の配列などに若干数寄屋風を加味するなど、洗練された屋内をもつ一方、
さす組、茅葺、勝手土間などには地域農民住居の手法も残している。

又保存資料と併せ考えて、当時の地方行政施設の形態やその使われ方もほぼ知ることが出来る。
明治以降陣屋の廃却が特に急がれたため、残存する遺構はきわめて少ない。
それだけにこの遺構は五千石の旗本陣屋としては主屋が良く整い、かつ保存もよく、貴重である。
                                                     案内説明より

書院の間

鎖の間

茶室躙り口

茶室(嶺南庵麟閣)

江戸時代、茶道は武士の嗜みの一つとして重んじられていた。
会津領主蒲生氏郷の庇護をうけた千利休の子少庵は、
鶴ヶ城本丸内に茶室「麟閣」を造った。

戊辰の戦火を奇跡的に逃れ、明治七年鶴ヶ城取り壊しの際に移築されたが、
この茶室はその「麟閣」を再現したものである。

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豪農の館 鶴井筒 

唐破風 正面玄関

食べ物処
蕎麦・うどん・喜多方ラーメン
田楽・・・などなど

保科正之嫡男正頼の墓 (左)

会津松平家廟所 (国指定史跡)

会津藩主松平家歴代の墳墓がある子の山は、明暦三年(1657)、正之の嫡男、正頼死去の時に開かれ、
保科松平家の墓所に定められたと伝えられている。
二代正経は仏教で、三代正容から九代容保までは神道で葬られており、他に家族や子孫の墓もある。
神道の廟所は、碑石・表石・鎮石の三体からなっている。

従四位侍従源正頼之墓

西の御庭 中の御庭の家族等の墓石

二代藩主正経之墓(鳳翔院殿)

三代藩主正容之墓(徳翁霊神)

四代藩主容貞之墓(土常霊神)

五代藩主容頌之墓(恭定霊神)

六代藩主容住之墓(貞昭霊神)

七代藩主容衆之墓(欽文霊神)

八代藩主容敬之墓(忠恭霊神)

九代藩主容保之墓(忠誠霊神)

碑石台の亀石

碑石

七代容衆公 表石と鎮石(奥)

拝殿

   幕末の藩主 松平容保

明治維新において幕府側の責めを一身に背負い最後まで戦った悲運の藩主です。
文久二年(1862)尊皇攘夷の嵐が吹き荒れ、乱れた京都の治安を取り戻すために幕府は京都守護職という特別職を作り、
これに容保を任命しました。

すでに幕府の力も衰えを見せており、非常に困難な任務であったにもかかわらず藩祖の遺訓を守り容保はこれを引き受け、
藩をあげてその任務にあたりました。
一千名を超える藩兵と共に京都に駐留し、公武合体のために全力を尽くしたのです。
この時有名な新選組も会津藩の預かりとなって活躍します。

京都の町は治安を取り戻し、「蛤御門の変」などを通じて容保は時の天皇・孝明天皇の絶大な信頼を得るに至ります。
しかし、慶応二年(1866)将軍家茂、孝明天皇と相次いで急逝し、世情は急激に反転してゆきます。

討幕派は新天皇を擁して力を強め、十五代将軍慶喜は大政奉還を宣言します。
慶応四年正月には「鳥羽伏見の戦い」が起こり幕府軍は敗退しました。
遂に国を二分した戊辰戦争の戦火は東国へと移り、会津藩は西軍の最大の標的とされ、
容保の恭順の意も受け入れられることもなく会津の地が最大の戦場となりました。

鶴ヶ城での一か月にわたる壮絶な篭城戦の末降伏し、会津藩は本州最北の地下北半島に斗南藩として移り、
その後過酷な運命をたどらなければなりませんでした。
容保はその後、謹慎生活の後に日光東照宮の宮司などを勤め、失意と沈黙の日々を過ごし五十八歳の生涯を閉じました。

この場所の奥に見える山一体が松平家の墓所「会津松平家院内御廟」となっており、容保もここに眠っています。
神道に則った巨大な墓碑がうっそうとした森の中に点在しており荘厳な空気が漂っています。

                                               案内説明より






天寧寺 tenneiji

曹洞宗 萬松山天寧寺参道

戒壇石 栴檀精舎禁葷酒

本堂

道標 間違っています直してください

こちらの方が正しそう

道標

萱野長修 郡長正の墓所

   萱野権兵衛長修・郡長政父子
父権兵衛は、明治戊辰戦争の時、会津藩の国家老で事実上の責任者として激務にあたり、
その後の敗戦処理に際しては、城明渡し、藩主父子の助命嘆願などに力を尽し、自ら進んでその責任をとり自害しました。

子の郡長正は、権兵衛の次男で明治三年小倉藩小笠原家の育徳館に留学し教育を受けた。
ある日長正は、郷愁を覚え母へ手紙を書いた。
後にち届いた母からの戒めの手紙を落として、小倉藩士の子弟に大衆の面前でののしられた。

長正は会津藩士の面目を保つため切腹して屈辱にこたえた。
ときに十六歳であった。
                                          案内説明より

近藤勇之墓

新選組隊長近藤勇は、戊辰の役で奮闘中千葉で力尽きついに薩摩・長門の手に捕えられ、首をはねられました。
遺体は東京三鷹市の龍源寺に埋葬されたが、首は京都の三条大橋下流にさらされました。
しかし何者かが持ち去りこの地に埋めたと言われている。

このお墓は、会津藩の手によって建立されたが、それは会津藩主容保公が京都守護職中、新選組はその支配下にあり、
挺身幕府のために力を尽くしたためである。
また、土方歳三など一行が会津に来て、戦闘に参加した際この墓に参詣したと伝えられている。

墓石には「貫天院殿純忠誠義大居士」の法号と、その上に丸に三つ引きの近藤家の家紋が彫られています。
毎春、四月二十五日の命日には、墓前祭が執り行われている。

   土方歳三慰霊碑
近藤勇没後満百二十年記念慰霊碑  会津若松ライオンズクラブ 昭和六十三年四月二十五日建立
法号「歳進院殿誠山義豊大居士」

   近藤勇 辞世の句

孤軍援絶作俘囚  顧念君恩涙更涙  一片丹衷能殉節  陽千古是吾儔
 
靡他今日何言  取義棆生吾所尊  快受電光三尺剣  只将一死報君恩

近藤勇 辞世の句 慶応四年四月四日

土方歳三 慰霊碑

会津歴史の道 熊野神社

愛宕神社 拝殿

往昔、会津門田の庄小田の里地沼に大蛇すみ人を害すること頻りなり。
四十九代光仁天皇の天応元年(787)三河国の人にて玉泉という修験者が沼の側に愛宕山権現を勧請した。
以来、大蛇の害は見られなくなったという。

至徳元年(1384)、領主佐原直盛が社殿を愛宕町に遷座した。

天正十八年(1590)、蒲生氏郷公当所に四方三十間の山を寄付し、愛宕町より遷座した。
享保十五年(1730)、六世別当順務が現在の社殿を建立した。

御祭神  火産霊神・伊邪那美尊・月読命

当社は、古来代々修験者奉仕の神社にて、普賢菩薩別当金蔵院が持仙の勢至菩薩を奉斎してあるため、
辰、巳、午年の守り守として信仰厚く、火伏の神、商売繁盛、学問成就の神として、月次祭(毎月二十三・四日)、
特に正月二十三・四日は会津一円よりの参詣がある。

且、男二十五歳・四十二歳、女十九歳・三十三歳の開運厄祓い、
六十一歳の祝い、七五三詣り、交通安全、安産祈祷に霊験があります。
                                                  案内説明より、

愛宕山扁額

手水舎

境内 松平容保公胸像

二十三夜塔

真言宗 水尾山松榮寺観音堂
愛宕神社参道脇にある






飯盛山 白虎隊の墓 iimoriyama-byakkotai

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天寧寺入口

白虎隊自刃隊士十九名之墓

正面の墓は、明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した十九名隊士の墓です。
八月二十三日(新暦十月八日)自刃した隊士の遺骸は、西軍により手を付けることを禁じられていました。
約三か月後村人により、密かにこの近くの妙國寺に運ばれ仮埋葬され、後この自刃地に改葬されました。

現在の形二十九隊士の墓が建てられたのは、明治二十三年で、二度にわたり墓域が拡張されました。
右側の墓は、会津各地で戦い、亡くなった白虎隊士三十一名の墓です。
左側の碑は白虎隊士と同じ年齢で県内各地及び新潟・栃木・京都で戦い、戦死した会津藩少年武士の慰霊碑です。

   松平容保公弔歌
戊辰戦争当時自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し九代藩主松平容保公が弔歌を詠まれたのを川東町八田野の篤志家八田宗吉氏がこの石に刻み石碑を建てたものである。

   幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽じとぞ思う  朝臣 源容保

白虎隊戦死隊士三十一名之墓

松平容保公弔歌の石碑

白虎隊士自刃の場所

飯沼貞雄翁の墓

白虎隊士自刃者中唯一人の蘇生者、飯沼貞吉少年(後貞雄と改名した)は印出新蔵の妻ハツに助けられ、
後、逓信省の技師となり、仙台逓信局公務部長に進み、逓信事業に挺身し多大な貢献をなし、
昭和六年七十八歳で仙台市に於いて歿した。

白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることが出来た。
昭和三十二年九月戊辰戦争九十年祭りに財団法人前島会仙台支部の手によって、ここに墓碑と顕彰碑が建てられた。

飯沼貞雄顕彰碑

十九名隊士霊像安置 宇賀神堂

さざえ堂

自刃の場より会津若松城を望む

   さざえ堂 (旧正宗寺三匝堂)  国指定重要文化財  六稜三層形式向拝付、銅板葺き
「さざえ堂」の通称があり、高さ約十六・五メートルで、初層真径約六・三メートルの六角形平面に回縁をつけ、
正面には唐破風の向拝を付している。

正面から入ると右回りに螺旋状のスロープで登り、頂上の太鼓橋を越えると降りの左回りのスロープとなって背面出口に通ずる。
昇降を通して建物内を三度回ることになるところから三匝堂の名がある。

スロープの内側に沿って西国札所の三十三観音像が祀られ、一度はいると巡礼を終えたことになるという、
いわば江戸時代における庶民のための身近な巡礼の建物であった。

『新編会津風土記』には「円通三匝堂」と見え、寛政八年(1796)の建立、と記され、
又会津若松の実相寺の僧、郁堂の建立とされている。

仏堂建築としては、他に例を見ない特異なもので、六本の芯柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使して、
二重螺旋のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義がある。
                                                             
                                                     案内説明より

厳島神社

当社は宗像三女神の一にして古くから人々の信仰が厚かった。
主神は市杵島姫命である。

会津の領主芦名直盛公の時代、石塚・石部・堂家の三家によって社殿が建てられたのは永徳年間のことである。
別当は正宗寺である。

降って元禄十三年には会津藩主松平正容公は御神像及び土地を寄進され、明治の初期に厳島神社と改めた。
この山を飯盛山と呼び、別名辯天山はこの神社にあやかるものである。
                                                     案内説明より

拝殿

手水舎

市指定文化財 天然記念物太夫桜

高さ十三メートル、周囲五・五メートル、江戸彼岸桜で、石部桜と共に会津二大老樹。

寛永三年(1626)、蒲生忠郷公在城の頃、若松城下の堀江町にいた「いつき太夫」
という名妓が花見のおりこの辺で兇徒のために殺害された。

弟の南秀と云う滝沢南岳院の法師がこれを大変悲しみ、霊を弔うために、
墓側に植えられた桜で、その樹はすでに枯れ、現在の樹は二代目と伝えられている。

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会津若松城 aiduwakamatujyo

歴代城主の家紋

北出丸 太鼓門方面より

寛永十六年(1639)加藤明き成のとき、北馬出しを出丸に造りかえたもので、本丸を守る重要な出丸であった。
東は二の丸と伏兵郭に、南は本丸、西は西出丸に濠をへだて相対し、攻防の際にはもっとも重要な位置にあったため、
城の生命線であった。

北出丸に侵入した敵は三方向からせん滅することができるので「鏖丸(みなごろしまる)」とも言われていた。

   太鼓門
北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、そこには多門櫓と呼ばれた櫓が建てられ、
胴の径五尺八寸(約一・八メートル)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、
その他の合図に使用されていたところから太鼓門と呼ばれていた。

   歴代城主の家紋
芦名氏 三浦丸に三つ引き    伊達氏 竹に雀    蒲生氏 三つ巴    上杉氏 竹に飛び雀   
加藤氏 下り藤    保科氏 角九曜    松平氏 会津三つ葵

太鼓門跡石垣

本丸 笠間稲荷神社

本丸 井戸

本丸 表門(鉄門)

帯郭から本丸内の奥御殿に通じる表門で、北向の多聞櫓城門である。
扉や柱が鉄で包まれていたところから鉄門の名が付けられている。
門の石垣の仕法は「切り込みハギ」と呼ばれ代表的な遺構の一つとして知られている。

鉄板張城門扉

切り込みはぎ

赤瓦 修復なった天守閣

再建された干飯櫓と南走長屋

天守閣入口

入口の内側当初の石垣

天守閣最上階から本丸御殿跡

本丸

天守から鉄門と干飯櫓 南走長屋

天守から市街地方面

塩蔵の様子

若松城の天守台内部には、「塩蔵」が設けられていました。
海をもたない会津にとって塩は貴重品であり、越後方面から船で輸送された塩は、籠城時の備えとして蓄えられていました。

戊辰戦争時、城中廊下に貯蔵された塩は約三万六千俵に達したとされ、その一部にこの塩蔵の塩も含まれていました。
現在ここでは、戦争に備え塩の備蓄状況を見回りする蔵役人と積み上げられた塩叺の情景を再現しています。

飯盛山自刃十九名の肖像画

二の丸から廊下橋

本丸埋門跡石垣

天守閣の北東にあって本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる桝形の城門である。
城内の他の門や建築物に比較して低い門構えで埋門の形態をとっていた。

大手口が東であった築城当時は表門であったが、寛永十六年(1639)の加藤明成による改築後は裏門となっている。
本丸奥御殿の勝手口として重要な門であった。

埋門から二の丸方面

二の丸の井戸

二の丸東門跡石垣

三の丸 県立歴史博物館

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会津若松市観光公社  福島県会津若松市追手町1-1  Tel 0242-27-4005  

会津若松観光協会

会津巡りへ

会津巡りへ

会津巡りへ

会津巡りへ

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あつみ温泉 atumionsen kyoudoyokujyo

温泉入口にある湯殿山と庚申塚
寛延四年の銘がある

温泉神社拝所殿と奥高台に温泉神社

温泉神社

神社月例?祭

正面湯

正面湯浴槽

正面湯源泉投入口

下の湯

下の湯浴槽

温泉名: あつみ温泉
源泉名: 温海5号・6号・7号混合源泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH7.3  陽イオン 850.8㎎/㎏  陰イオン 1388㎎/㎏
     成分総計 2319.8㎎/㎏

源泉温度(混合泉): 56.5℃

湧出量(あつみ温泉管理組合混合泉): 1300ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 各施設による

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・糖尿病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

   正面湯
注入排出形態: 源泉かけ流し(清掃後適温にするため加水あり)
利用料: 200円
利用時間: 6.00~23.00(9.00~12.00は入浴不可)
休日: 無休 

   下の湯(共同浴場の内最大の浴槽)
注入排出形態: 源泉かけ流し(清掃後適温にするため加水あり)
利用料: 200円
利用時間: 6.00~23.00(9.00~12.00は入浴不可)
休日: 無休

   里の湯
注入排出形態: 源泉かけ流し(清掃後適温にするため加水あり)
利用料: 200円
利用時間: 14.00~22.00
休日: 無休

   瀧の屋
注入排出形態: 加水 循環ろ過 消毒
利用料: 600円
利用時間: 11.00~22.00
休日: 無休

   あさひや旅館
注入排出形態: 源泉かけ流し
利用料: 500円
利用時間: 不明(問い合わせ)
休日: 無休


源泉は管理組合で各源泉混合のうえ配湯。
よって、各施設受湯まではすべて同泉質となっている。
源泉の各施設への分配率など部外者にとって興味があるところですが、
その後の対応により浴槽の注入排出形態は施設ごとに違いがあるようです。

源泉温度が高いから加水しているとの説明がありますが、
加水を避ける方法はいくらでもありそうだと思います。
事実源泉温度80℃以上の本流源泉かけ流し施設はたくさん存在している。

源泉管理組合ともなればそれなりの方向性ができると感じている。
加温、加水、循環ろ過、消毒などの内加水が一番避けてもらいたい。
特別こだわるわけではないけれど、成分が薄まっていることは確か。
その点、加温は二酸化炭素泉などを除けば気にもならない。

なんといってもこの温泉の売りは環境の良いことでしょう。
今年の3月13日名称「昭和クラブ」で、たちばなやさんに宿泊の予定が、
あの大震災でその楽しみも中止。

現在良くは解りませんが元の状態に戻っているようです。


今回あつみ温泉には「いなほ8号」で向かいましたが、あつみ温泉駅~温泉センター
のバス時刻表には温泉駅発11時23分とありましたので、
「いなほ8号」到着時刻11時24分との関係から徒歩で向かう予定にしていました。
前回も同じ列車で降り徒歩で行ったことがありましたので。

で、ゆっくりとトイレに寄り改札を通り駅舎の外に出てみるとなんと、
温泉行きバスの御尻が見えるではありませんか。
残念ながらお尻を振り振り道路に出て行ってしまいましたのですですよ。

いなほ3号12時26分→12時34分  いなほ5号14時03分→14時23分
いなほ7号17時05分→17時08分

いなほ8号11時24分→11時23分  いなほ10号→15時03分→15時37分
いなほ12号16時31分→16時36分

いなほ8号だけが1分の違いで到着より早く発車してしまうのです。
他の理由がありそうなバスの運行時刻ですが部外者にはわかりません。
路線バスなので遅れが出ることが常識とは思うにですが、
西村京太郎さんでもさすがにこの遅れを前提としてアリバイ作りには捜査困難。


参照: 温泉と観光→温泉その2→あつみ温泉   

温泉成分分析書(各施設共通)

瀧の屋

瀧の屋の浴槽

あさひや旅館

あさひやの暖簾 創業宝暦三年
吾・唯・知・足を掲げている

あさひや旅館の浴槽

源泉注湯口

おもてなしで高評価の旅館
右の棟館の外観は汚れが目立つ

にかほ駅近辺からの鳥海山

遊佐駅周辺からの鳥海山

酒田駅周辺からの鳥海山

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岳温泉 dakeonsen

岳温泉

安達太良山と並びそびえる鉄山の南面直下、くろがね小屋の付近には豊富な湧泉地帯があり、ふるくから陽日(ゆい)温泉として知られておりました。
谷筋には灰白色に変質した岩肌が広がり、黄変した噴気孔からは熱い蒸気が絶え間なく噴き出しております。
元湯の湧き出し口十か所から毎分900ℓ湧き出る摂氏60~98度の温泉が、金明水、勢至平、長坂を経て東方8キロの岳温泉へと引き湯されています。
そもそも陽日温泉は由緒ある温泉で、古く貞観年間すなわち西暦800年代に知られており、江戸時代には賑やかな湯治場として栄えておりました。しかし文政7年の大規模な山津波により壊滅してしまいました。塩沢温泉近くに『十文字岳温泉』が再建されましたが、後の戊辰戦争で全焼し、現在の岳温泉の南西に位置する『深堀温泉』再建されました。
ところが、明治36年の大火のため旅館は全焼。
明治39年に現在の『岳温泉』が再建されました。
度重なる災難にもめげず、引き湯は行われてゆきました。
当初の引き湯は木や瓦をもちいて樋を作りお湯を通すというものでしたが、傷みやすく温度が下がってしまうため、昭和初期からは丸太の芯に穴をあけた『木管』を使うようになりました。
この引き湯方式により、四季を通じて熱く豊かなお湯を楽しめるようになりました。
お湯は山肌をとうとうと流れ下り、管の中で適度にもまれて軟らかくなって届きます。
このお湯が身体と心を癒してくれるのです。
静かに流れる至福の時、立ち昇る白い湯煙りのかなたに、いにしえの陽日温泉をお偲びください。
                                                             案内説明より

温泉街の坂道

鏡が池

ホテル光雲閣外観

光雲閣大浴場

光雲閣露天風呂 湯が20㎝で注湯中

温泉名: 岳温泉
源泉名: 岳温泉元湯
泉質: 単純温泉(カルシウム36.2㎎/㎏  硫酸イオン362.2㎎/㎏)
     低張性 酸性高温泉
     pH 2.5  陽イオン 87.3㎎/㎏  陰イオン404.3㎎/㎏  
     成分総計 632.3㎎/㎏

源泉温度: 56.7℃(引き湯後温度)

湧出量: 1290ℓ/min(引き湯後利用湯量)
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 各施設ごと

効能:慢性皮膚病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復


   ホテル光雲閣
注入排出形態: 循環ろ過 消毒
利用料: 700円
利用時間: 11.00~15.00
休日:無休

ホテル光雲閣
福島県二本松市岳温泉1-85
Tel: 0243-24-2101


   鏡が池碧山亭
注入排出形態: 源泉かけ流し
利用料: 700円
利用時間: 9.00~20.00
休日: 無休

鏡が池碧山亭
福島県二本松市岳温泉2-13
Tel: 0243-24-2008


バス岳温泉駅より
光雲閣までは 往徒歩25分 複徒歩15分
碧山亭までは 往徒歩5分 複徒歩7分

ホテル光雲閣よりの眺望

温泉成分分析書 各施設共通

鏡が池碧山亭外観

大浴場

露天風呂

鏡が池

東北人は負けん!

福島交通岳温泉駅

廃業した施設?

さすけねぞい!!二本松
がんばっぺい!!二本松 のぼり旗

温泉神社扁額

手水舎

温泉神社

この社は貞観五年(863)に小結温泉神、寛平九年(897)に小陽日温泉神として
朝廷より贈位された県内最古の官社の一つであります。
祭神は湯日温泉神、安達太良明神、熊野神の三神と、
安達太良山開山の祖徳一大師の伝承にもとづく薬師如来が祀られております。

陽日温泉が山崩れ壊滅後に十文字岳、深堀岳温泉と三度変遷しましたが、
いづれの地にも湯神祠を祀り、温泉の守護神として厚く崇敬された神社であります。
この社殿は明治四十年に深堀岳温泉より遷座し、昭和十七年に再建されたものです。 
                                                         案内説明より

二本松駅

二本松奉行所 御奉行は非番

二本松少年隊士の像
「霞城の太刀風」

阿多多羅山を望む空を見上げる長沼智恵子  そこには「ラドン」が飛んでいた

B級グルメ 「ほんとの空 ほんとの味 こだわりカレー」 安達太良カレー

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栂池温泉 tugaikeonsen-motoyu tuganomoriso

温泉名: 栂池温泉
源泉名: 栂池温泉源泉
泉質: 単純温泉(ナトリウムイオン162.2㎎/㎏  炭酸水素イオン424.7㎎/㎏)
      低張性 弱アルカリ性高温泉
      pH 7.8  陽イオン 181.7㎎/㎏  陰イオン 464.9㎎/㎏

源泉温度: 53℃

湧出量: 不明
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 循環ろ過 消毒

効能: 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
     冷え性・疲労回復

利用料: 大人700円  65才以上500円
利用時間: 9.00~22.00
休日: 不定休(問い合わせ)


栂池温泉 元湯栂の森荘
長野県北安曇郡小谷村栂池496-1
Tel:0261-83-3300 


南小谷駅から村営バスにて終着栂池高原まで500円。
冬のシーズンを除けば混むことはないと思います。
大型バス(アルピコバスの委託運行)に乗客は一人だけでした。

北部北アルプス山麓はオリンピック道路が長野駅から直通バスが通っており、
東京方面からの観光者は新幹線経由で便利になっている。
但し、オールシーズン自家用車での観光者客は多いと思われ、
特に冬季の書き入れ時にはチャーターバスでのスキー客でこの温泉も賑わってくる。

大浴場は施設規模の割には大きくて宿泊客のみならず他の宿泊者にも喜ばれそう。

栂の森荘

大浴場

温泉成分分析書

リラックス浴槽

露天風呂 5~7人

露天風呂注湯口

大浴場注湯口 飲泉用のマス

本当の露天風呂

露天風呂で

大糸北線(JR西日本)は非電化

姫川

千国街道の命名地
小谷温泉には中土からが近い

顔出し記念パネル

小谷駅

小谷村観光案内図

日帰り温泉栂の湯

まちてぇ 待ち亭or待ち停

高原行バス

まちてぇから坂降る200m右入る

ゲレンデ





越後湯沢温泉 etigo-yuzawaonsen

公衆浴場 駒子の湯  旅館松泉閣 花月

温泉名: 湯沢温泉
源泉名: 湯沢町温泉管理 第一配湯所混合泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH8.0  陽イオン 387.3㎎/㎏  陰イオン 648.4㎎/㎏
     成分総計 1073㎎/㎏

源泉温度: 57.3℃

湧出量: 不明
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 循環ろ過 消毒 季節により加温

効能:慢性皮膚病 慢性婦人病 きりきず やけど
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 500円  小人 200円
利用時間: 10.00~20.30
休日: 毎週木曜日 (休祭日の場合翌日)


湯沢町公衆浴場 駒子の湯
新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢148
Tel: 025-785-7660



松泉閣 花月

源泉名: 湯沢町温泉管理 第一配湯所混合泉

湧出量: 不明
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 循環ろ過 消毒 季節により加温

利用料: 1050円
利用時間: 11.00~14.00
休日: 不定休

松泉閣 花月
新潟県南魚沼郡湯沢町湯沢318-5
Tel: 025-784-2540



駒子の湯は駅から徒歩で15~20分である。
10時からの営業となっているが共同浴場のためか早くから営業している。
その一番風呂の客が退出すると、2~3人程度のゆったりとした環境になった。

正雪「雪国」のなかの芸子駒子の名を取ってつけられた湯名となっている。
休憩所のガラスケースには映画や舞台の俳優の写真が展示されている。
駒子役には岸恵子さん(映画)と若尾文子さん、
二枚目俳優の池部良さんが島村を八千草薫さんが葉子を演じているスナップ写真である

雪国といえば思い出すことがある。
詩壇のH氏賞第一回受賞者である殿内芳樹先生は冒頭の書き出し 国境の読み方を
クニザカイと読むようにと国語の授業で指摘されていた。
コッキョウは国家と国家間の境であり、上毛国と越後国の境はクニザカイが良かろうと。

情緒的な文字イメージはもっともであると思っていたが、音声として感じるイメージは、
やはりコッキョウと発音する方が日本人的?には納まりの良い七五調に合う様に思う。

又先生は松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」の奥とは東海道の奥であるとも指摘されたが、
江戸時代、街道が整備され主要幹線と成ってはいたが、陸奥の国名は古来からあり、
古来からの道と云えば東山道であり、東山道の奥が陸奥のとなったと思う。
つまり、東山道の「道の奥」の奥を旅した紀行文の方が解釈が容易にできる。

因みに先生は県立松本工業高校の国語の教諭をされていたころのことである。
その後解釈が変えられたかは解らないので50年以上前の話と思っていただきたい。

雪雲に隠れた越後三山方面

駅にある駒子像? 説明が難読

越後湯沢駅

雪国の宿命 除雪作業

鳥居も埋もれそう

いろはの湯 上の露天風呂

いろはの湯 下の露天風呂

内風呂浴槽

モノクロ景色の中庭

館内絵画展の一作品 

松泉閣 花月

雪国 俳優の写真

雪国執筆の高半旅館の写真

第一配湯所混合泉分析書

駒子の湯

浴室と仕切られた洗い場

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越中金太郎温泉 カルナの湯 ettyu-kintaroonsen

温泉名: 金太郎温泉カルナの湯
源泉名: 金太郎温泉1号・2号・3号混合泉
泉質: 含硫黄ーナトリウム・カルシウムー 塩化物泉(硫化水素型)
     高張性 高温泉 pH:不明
     陽イオン 6222㎎/㎏   陰イオン 9794㎎/㎏  メタホウ酸 102㎎/㎏
     成分総計 16247㎎/㎏

源泉温度: 73.5℃

効能:慢性皮膚病 慢性婦人病 きりきず やけど 高血圧症 動脈硬化症
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

湧出量: 1500ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 源泉かけ流し(循環ろ過)
           源泉温度70℃以上からすると大規模な降温装置があるのか?
           又は新湯投入率が低いと思われる。
           浴槽の入れ替えをしているのかは判らない。

利用料: 3時間 1000円  1日 1600円  1時間 700円
利用時間: 8.30~10.00
休日: 無休


越中金太郎温泉
富山県魚津市天神野新6000
Tel: 0765-24-1220


魚津駅からバスの便が1日5便出ている。
その内1~2便は金太郎温泉経由となっていた。
その他は金太郎温泉前バス停となっている。
金太郎温泉前バス停からは坂道を5分ほど登ることになる。

この路線は魚津市の福祉バス?と重なるところがあるようなので福祉バスに合わせ、
100円で乗車できる(運行は富山地方鉄道バス)のが嬉しい。

宿泊館「光風閣」の外観から比べるとこの日帰り施設は新しく、
浴槽も巨岩を配したいわゆる露天岩風呂で、白濁した趣きのある浴槽です。

館内有料各施設は入場時に渡されるロッカーのカギに付けられている
バーコードにより個人が認識され退場のときに決済される方式であった。

入口には懐かしの「笹みどり歌謡ショウ」の看板が立てかけられていた。
私と数年違いで頑張っていらっしゃることが驚きです。
2月21日~3月7日公演で、4500円(前売り4000円)。
約2週間の長丁場、温泉の似合うであろう笹みどりさん、色気も衰えないでしょうね。

三味と踊りは 習いもするが  習わなくても 女はなける
  つらいさだめの 花街育ち  義理がからんだ 花ばかり・・・下町育ち

母親が神奈川県湯河原温泉で働いて、女手一本で育てられたとのコピー。
当時顔立ちの温和な癒し系演歌歌手として人気があった。

温泉成分分析書

金太郎石像

赤鬼 青鬼を背景にして

JR魚津駅

露天風呂

宿泊棟 光風閣

日帰り温泉 カルナの湯





つなぎ温泉湯守の宿 大観 tunagionsen-taikan

湯守の宿 大観 楽天webより

温泉名: つなぎ温泉
源泉名: 大観の湯
泉質: 単純硫黄泉
     低張性 アルカリ性高温泉
     pH9.0  陽イオン 194.4㎎/㎏  陰イオン 352.3㎎/㎏
     成分総計 624㎎/㎏

源泉温度: 52.4℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能:慢性皮膚病 慢性婦人病 きりきず やけど
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 1000円
利用時間: 9.00~21.00
休日: 無休(問い合わせ)


盛岡つなぎ温泉 湯守ホテル大観
岩手県盛岡市繋字つなぎ温泉37-1
Tel: 019-689-2121


御所湖に架かる繋大橋を渡ったところに十数軒の温泉施設がある。
今回、古風な名前に誘われて(湯守の宿)大観に立ち寄り湯をお願いした。
大規模な宿泊施設で、湯処も大きく過ごしやすかった。
のんびりし過ぎて時計を見たら2時間を経過していた。

盛岡駅東口バスターミナル10番乗り場よりつなぎ温泉行が出ている。
7時頃から21時ごろまで30分~1時間間隔で20便運行されて便が良い。
つなぎ温泉の先鶯宿温泉までの便も7便ほど運行されている。
盛岡駅~つなぎ温泉の運賃は620円 鶯宿温泉までは930円かかります。

土曜日の訪問でしたので家族連れでにぎわっていました。
休み処が無いのが残念ですが(この手の施設は概ね設けてはいない)
以外とゆっくりすることができました。
これまで訪れた施設の中では優良で、お勧めの立ち寄り湯です。

つなぎ温泉の名の起こりは、源頼義奥州征伐の下りに嫡子義家がこの地に陣を置き、
湧く温泉で疲れを癒した際に駒を繋、駒をも癒したと云われる伝えから名付けたらしい。
大観の説明では馬が先で義家が後とのことであるが不自然な思いもする。
バス停名に前九年一丁目と館坂とあったが、伝承に基くものでしょうかね?

内風呂

内風呂

温泉成分分析書

露天風呂

露天風呂注入口

打たせ湯露天風呂

三段の湯滝

綿帽子

館内宴会場

大観が勧進元? (横綱曙太郎)

バス停名 前九年一丁目

バス停名 館坂橋





越中五箇山 くろば温泉
 gokayama-kurobaonsen

温泉名: 五箇山くろば温泉
源泉名: くろば温泉源泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ低温泉  
     pH7.5位  陽イオン 1753㎎/㎏  陰イオン 3363㎎/㎏
     成分総計 5216㎎/㎏

源泉温度: 31.9℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・糖尿病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 600円  小人 300円
利用時間: 10.00~20.00
休日: 毎週火曜日 (祝祭日の場合は翌日)


くろば温泉
富山県南砺市上平細島1098
Tel: 0763-67-3741

南砺市観光協会 (温泉→くろば温泉)
富山県南砺市城端1046城端庁舎内
Tel: 0763-62-1201


1日往復4便運行されている加越能バス
(高岡駅前~砺波~城端駅前~相倉入口~菅沼~白川郷合掌集落)
で菅沼の一つ手前の細島停留所下車すぐ 看板が見える。
高岡から進行方向右手にくろば温泉が道に面してあるので見えたら降車ボタンを押します。

また、この路線は山道に入いってからは運転手に降車の場所を伝えると停車してくれるし、
乗車のときも運転手に乗車の意志を確実に伝えると停まってくれます。
この確実が重要で、運転手と目を合せるくらいの確実さが必要です。

駐車場には親熊と二頭の小熊がよじ登っている看板が目立つ。
券売機で入浴券を購入し受付に持ってゆくと、どうぞごゆっくりとなる。
二階にはダム湖を見下ろす休憩どころもあり、味どころもあります。

国道沿いにあるので五箇山・白川郷自動車で見学の際は休憩にはベスト。
ダム湖を望む露天風呂はシーズンを選ばず良き癒しの所になるでしょう。
泉質もよさそうなので効果は乗乗です。

熊の看板 くろば温泉

温泉館

温泉成分分析書

内湯浴場

ダム湖と露天風呂

大きな合掌民家であったであろう

茅葺屋根の覆い屋根

細島停留所 上平支所

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上山温泉 天神の御湯あづま屋
 kaminoyamaonsen tenjinnoyuazumaya

温泉名: かみのやま温泉
源泉名:上山地区1号、2号、3号源泉混合泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 7.9  陽イオン865.5㎎/㎏  陰イオン 1592.6㎎/㎏

源泉温度: 64.3℃

湧出量: 不明
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 循環ろ過 消毒

効能:切り傷・やけど・慢性皮膚炎・慢性婦人病・動脈硬化症・糖尿病
    神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・うちみ・ねんざ・慢性消化器病・痔疾
    冷え性・疲労回復

利用料: 1000円
利用時間: 13.00~16.00
休日: 無休 (問い合わせ)


上山温泉 天神の御湯あづま屋
山形県上山市新湯1-23
Tel: 023-672-2222


   鶴脛の湯
長禄二年(1458)肥前国(佐賀・長崎)の僧上人月秀和尚が巡錫のため当地を訪れました。
その時一羽の鶴が脛(すね)の傷を癒しているところを発見しました。
しばらくして脛の傷が治った鶴が飛び去った後から不思議にも空高く温泉が湧き出ました。
これが上ノ山温泉発見の由来です。


元青年の恒例温泉旅行。
2回目の訪問となりましたが、同じ新湯地区の温泉旅館でしたので、
泉質は前回の月岡ホテルと同じです。

温泉湧出地区別に旅館街がありそれぞれが僅かに異なる泉質となっている。
各地区が集合した上山温泉郷とも呼べる。
新湯地区は駅からも近く立ち寄り湯には最適な場所に位置している。

近くの公園に建築された上山城天守がある。
この城は資料に基づかない天守で模擬天守と云われるものです。

安土桃山時代の特徴である大入母屋に欄干付望楼をのせ、石落としを設け、
板張り・白漆喰の壁ではあるが、石垣は切り込み接とバランスが取れていない。
強度の問題があったのでしょうかね。

建築場所が二の丸跡と云われているので、天守台も確かに普請されたものです。
案内所に東北の名城とと云われていたとのこと、
城の取壊しの過酷な様子がうかがい知れる。

成分分析書

上山温泉新湯源泉

上山城模擬天守

   上山城の沿革
上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、
上山殿と称し虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡上とも言われていた。

永正十一年(1514)には、伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、五年後に再び攻略されたが、
天文四年(1535)里見満長の子孫武衛義忠が挙兵して奪還した。
同年高楯城を廃して、新たに此の地天神森山に平山城を築き、月岡城とも称した。

その後、城主は武衛氏三代、里見氏、元和八年{1622)最上家改易後、能見松平氏、蒲生氏を経て、
土岐氏二代が領した十七世紀の後期には、城郭として最も整備され、白壁の城壁を廻らし、
後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(25000石)ながら奥羽の名城と称されたと伝えられている。

しかし、元禄五年(1692)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。
以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(30000石)十代の治領下で百七十余年間、代々城の再建が宿願であったが、
明治維新まで一部を修復するにとどまり、再建される事は無かった。
城郭の堀も明治五年に埋め立てられ、今は城の西側に僅かに内堀であった名残を留めている。

現在の上山城は、昭和五十七年旧二の丸跡に城郭風郷土資料館として建設したものである。

                                           案内説明より

足湯 新湯1号源泉使用

名物玉こんにゃく(でかい)

炭火焼肉 「いろり」にて昼食
ランメニュー 石焼牛肉道場を食す

炭火焼肉 いろり
山形県米沢市中央二丁目4-30
Tel: 0238-21-5996

元祖喜多方ラーメン 「源来軒」翌日の昼食

喜多方にラーメンを広めた元祖ラーメン店。
店前には由来の看板が掲げられていた。

   元祖喜多方ラーメン
大正のおわり頃、中国大陸から蔵の街喜多方に移り住んだ当店店主は、
手打ちの麺で屋台を引きながらラーメン造りを広め現在に至っている。

喜多方地方の気候風土に合った味づくり、手打ち麺で、
店主の頑固なまでのラーメン造りに対する姿勢今も昔と変わりません。

故に、当店は喜多方ラーメン発祥の店と謂われています。
ぜひ一度ご賞味下さいませ!


店構えから内装テーブルに至るまで赤を基調としている。
テーブル席で椅子は30脚ほどで満席時は狭く感じるとおもわれる。
店内には来店客の色紙が貼ってあるが、名前の判読はかなわない。
煮干しの風味が際立つスープであった。

中国料理 源来軒

ネギラーメン

チャーシューラーメン

餃子 (大き目)

蔵王連山

タワーマンション 3LDK 1000万円

あづま屋

二箇所の浴槽 45℃位で熱い

大浴場 適温