温泉その5

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乗鞍高原温泉 norikurakougennonsenーmai

温泉名: すずらん温泉
源泉名: 鈴蘭温泉源泉
泉質: 単純温泉(ナトリウムー炭酸水素泉)
     低張性中性温泉
     pH 7.00  陽イオン 174.6mg/kg  陰イオン 525.1mg/kg
源泉温度:38.8℃

湧出量: 85.5ℓ/min
湧出形態: 動力揚湯 引湯
注入排出形態: 加温 加水 かけ流し

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ くじき 慢性消化器病
     慢性婦人病 冷え性 疲労回復 健康増進等

のりくらの宿 舞
長野県松本市安曇乗鞍高原4237-7
Tel: 0263-93-3000




日帰り温泉施設

温泉名: のりくら温泉
源泉名: 乗鞍温泉源泉
泉質: 単純温泉(ナトリウム・カルシウムー硫化水素泉)
     低張性強酸性高温泉
     pH 3.13  陽イオン 169.8mg/kg  陰イオン 411.8mg/kg

源泉温度: 49.0℃

湧出量: 不明
湧出形態: 自然湧出 引湯
注入排出形態: かけ流し 加温不明 加水不明 消毒無

利用料: 大人 700円  小人300円
利用時間: 9.00~21.00(要問い合わせ)
休日: 毎月第3火曜日と臨時休日(要問い合わせ)

効能: 高血圧症 動脈硬化症 糖尿病 心臓病 水虫 
     神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ くじき 
     慢性消化器病 慢性婦人病 冷え性 疲労回復 健康増進等


松本市営 ゆけむり館
松本市安曇鈴蘭4306-6
Tel: 0263-93-2589


同泉質温泉宿
山のお宿 滝見館




温泉名: 安曇乗鞍温泉
源泉名: 乗鞍高原休暇村源泉
泉質: カルシウム・ナトリウム・マグネシウムー炭酸水素塩泉
     低張性 中性温泉
     pH6.3  陽イオン 433.2mg/kg  陰イオン 1412.0mg/kg

源泉温度: 25.6℃

湧出量: 93ℓ/min
湧出形態: 動力揚湯 引湯
注入排出形態: 加水無 加温有 消毒有 循環ろ過有

利用料: 大人500円  小人300円
利用時間: 11.00~17.00
休日: 無休

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ くじき 慢性消化器病
     慢性婦人病 冷え性 疲労回復 健康増進等


乗鞍高原休暇村
松本市安曇乗鞍高原4307
Tel: 0263-93-2304




梅雨に入る前に墓参りと墓地の草取りをする事になり、ついでに温泉でもと。
直前でしたけれども宿の予約が出来てGoGoです。
午後1時ごろまでには仕事?も終わり、1.5時間の予定で乗鞍に向いました。
途中道草を食いすぎ宿に着いたのは4時頃で、倍かかってしまった。

宿は意外に空いており、日の長い6月でまだ到着しない人が多いらしい。
風呂は岩風呂風の内湯と隣り合った露天風呂で、内湯は女風呂だけが入れる状態でした。
以前2回ほど旅行サイトから申し込んで満室の為に宿泊できなかった宿です。
まだ日が高かったので、森林浴をかね近くの滝を観に行く事にしました。
初めて見たので水量の多い少ないはわかりませんけれど、多かった。

春、夏谷間のオフシーズンなのか貸切り状態の露天風呂につかり新緑満喫です。
泉質はくせが無く温泉と思わなければ気がつかない程度で、少し臭うくらい。
木々が露天風呂に覆いかぶさるように迫り、木々からの落下物も湯船の其処彼処。
知らずに足に触れると思わず反射的に引いてしまいそうな大きいヤツもいた。

囲炉裏の間の夕食とのことで、皆さんの到着を待たずにお先にいただきました。
皆さんとおしゃべりしながらの夕食も良かったでしょうけれど、腹減っていた。
準備されていたのは4名分ぐらいでしたでしょうか、
半時ほどの食事時間中には見えませんでした

2年ほど前宿泊した、滝見館の温泉は乳白色の酸性泉で臭いもきつく、
カランや配管の腐食で、温泉だ!と即わかる。
上にも書いたとおり源泉そのものが違っているので、当然です。
そのときの星空はキーンと澄みわたり満天の星とはこのことを言うのかと思えた。
が、今日は薄く雲がかかっていて見られなかった。

翌日は上高地で3時間くらいのウォーキングを楽しんで帰途に着いた。

遊歩道脇の花々 

いわな 

明神池の上流方面

河童橋

明神岳

河童橋から6月の穂高

善五郎の滝遠望

善五郎の滝直下

白樺の森林浴

玄関外観

垂直よりマイナス角度のダム
ダム上端は国道158号

囲炉裏の食事処

奈川渡ダムによって出来た梓湖

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上山温泉 月岡ホテルkaminoyamaonsenーtukiokahotel

温泉名: 上山温泉
源泉名: 上山温泉協同組合1号源泉・2号源泉混合泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉
     低張性 中性高温泉
     pH 7.8  陽イオン 902.8mg/kg  陰イオン 1589.2mg/kg

源泉温度: 64.9℃

湧出量: 不明
湧出形態: 動力揚湯 引湯
注入排出形態: 加温有 加水有 循環ろ過有 消毒有

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病 動脈硬化症 神経痛
     筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病 冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進

利用料: 大人 1000円
利用時間: 7.00~22.00 (要問い合わせ)
休日: 無休


かみのやま温泉 月岡ホテル
山形県上山市新湯1-33
Tel: 023-672-1212 




5時ごろの遅い訪れとなりました。
宿泊客と一緒になって入浴で迷惑をおかけしたような思いです。
それでも時間的に入浴が一巡した頃でお客さんもまばらで良かったです。
露天風呂の貸切り状態でちょっと得した思いでした。
温泉は特別に変わったところが無く色も臭いもノーマルです。
ですが湯冷めしにくい温泉らしく、温泉気分の持続が長く残りました。

ところで、新庄から山形までの普通列車の車内で驚嘆する事があった。
通学時間帯と言う事もあって、大勢の学生と乗り合わせたのですが、それがそれが。
関東地方ではあまり見たことも無いような格好をして集団で個性を振りまいている。
特に女学生にその個性?が見られた。
その一、スカート丈が異状に短くて座り方がだらしないので雌豚の様。
その二、ピアスが顔中にリベットのごとく打ち込んでいて鼻にはリングで山形牛の様。
その三、座席が十分空いているのに通路に座り込んで大声で騒いでいる山猿の様。

私の乗った車両は偶然その手の皆さんだけが乗る特殊車両だったんですかね。
山形の印象を東北の素朴で純真から何に変えようとしているのだろうか?。
個性と理解されている期間はこのままでは短いような気がしています。
未来のお母さん見つめ直して頑張ろうね。
朱に交われば赤くなる みつごの魂百まで  「学は~青は藍より出でて藍より青く~氷は」

芭蕉と曾良
五月雨を~最上川 も近所

新庄駅

露天風呂の箱庭
内風呂からも眺められる

退出時に写したホテル入り口

温泉分析書

3箇所の浴槽

露天風呂 源泉かけ流し

かみのやま温泉駅

帰りのつばさ
従来軌道上は揺れが大きい

何処で買ったか思い出せない土産





南紀勝浦温泉 nankikatuuraonsenーhoteruurasima

温泉名: 南紀勝浦浦島温泉
源泉名: ホテル浦島温泉集中タンク泉
      (岩窟湯 赤島湯 赤嶋2号湯 浦島湯 翁湯)混合泉
泉質: 含硫黄ーナトリウム、カルシウムー塩化物・硫化水素泉
     低張性 弱アルカリ高温泉
     pH 7.7  陽イオン 1748mg/kg  陰イオン 3019mg/kg

源泉温度: 48.0℃

湧出量: 358ℓ/min
湧出形態: 動力揚湯 
注入排出形態: 加水不明 加温不明 消毒不明 かけ流し(循環ろ過)

他に 磯の湯1号源泉 磯の湯5号源泉など

効能: 慢性関節炎症 慢性筋肉症 神経痛 慢性金属中毒症 心臓弁膜症
     糖尿病 慢性婦人病 冷え性 等

利用料: 大人 1000円  小人 500円   ランチセット1500円
利用時間: 9.00~21.00
休日: 無休

休憩処: 大人 500円  小人300円
利用時間: 9.00~17.00


南紀勝浦温泉 ホテル浦島
和歌山県那智勝浦町勝浦1165-2
Tel: 0735-52-1011



前の事になるがサンフラワー号で新木場から勝浦へ。
バスの車内から「でけー」と思ったものだ。
そのときは一泊予定で熊野三山めぐりと串本周りで白浜泊まり。
今回そのデケー 浦島にやってきました。

とりあえず、忘帰洞に入浴。
一番奥に新設なった露天風呂と瓶風呂は波打ち際に最も近く眼下の景色が抜群でした。
一休みしてから山上の露天風呂へと、いやはや、寒かった。
で、山上館のエレベーター前から奥に入っていくと浴場があった。
山上館の内風呂「天海の湯」で、入ると人がいない?もしかして およびじゃない?
しばらくして2名様御成りになって一安心。

横長の館内は浴場間を歩く歩く、初めて乗った地下鉄構内の如くでした。
オーバーな話ですが、オーバーと感じないところが浦島のすごいところ。
もしこれを読んだら 「そうなのよ、あんたも行ってらっしゃいよ」と言えます。
硫黄の臭いが温泉に来たなと、思いも新たに。

どうにかスタンプラリーを満席にして、頂いたのが浦島特製入浴剤です。
フロントの係りの方、頑張って満席にしたのだからおめでとうの笑顔くらい易い物じゃない。
多くの人と毎日接していると、一期一会の心を自戒を込めて思い出します。

浦島側船着場

温泉分析書

スタンプラリーの粗品?入浴剤

洞窟風呂忘帰洞温泉
   (ホームページより)

山上露天風呂
   (ホームページより)

洞窟風呂玄武洞
   (ホームページより)

景勝 鬼が城からの熊野灘 

世界遺産 熊の古道・大門坂

伊勢神宮内宮

おかげ横丁

閉ったままの 赤福本店

熊野速玉大社

熊野那智大社

熊野本宮大社

那智の滝

那智の滝と三重塔

那智山青岸渡寺 西国巡り1番札所

富士川鉄橋

遠江国の名の起源 浜名湖

伊勢湾岸自動車道から
   ナガシマスパーランド





岳温泉 dakeonsenーyuinosatoーazumakan

温泉名: 岳温泉
源泉名: 元湯 (湧出地における複数源泉の混合泉)
           源泉地名: 1の2 1の3 2の2 3の2 3の3
泉質: 単純酸性温泉(カルシウム・アルミニウムー硫化水素塩泉
     低張性 強酸性高温泉
     pH 2.4   陽イオン 82.4mg/kg  陰イオン 454.1mg/kg

源泉温度: 58.3

湧出量: 不明
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 加温不明 加水不明 循環ろ過有 かけ流し

効能: 神経痛 筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 うちみ くじき 
     慢性消化器病慢性婦人病 冷え性 疲労回復 健康増進等

利用料: 大人800円
利用時間: 14.00~18.00(要問い合わせ)
休日: 無休


陽日の郷 あずま館
福島県二本松市岳温泉1-5
Tel: 0243-24-2211





郡山から磐越自動車道で裏磐梯方面。
磐梯山噴火記念館?と桧原湖に寄り道した頃から空模様が怪しい。
ついに旅館に着くころになって道路が川になってしまいました。
冷たくなった体をさっそく湯船で温めやっとおちつく。
幸いな事に急の旅立ちで、予定のある事がなかったので温泉三昧を決め込んだ。

この温泉館は地元では有名な老舗旅館らしく、
「陽日の郷」を名乗るのも源泉に起源があると言う。
江戸時代に源泉近くにあった温泉の陽日温泉を、幾たびかの遍歴を経て、
彼の地より当地に引湯して岳温泉を開いたらしい。
引湯に多大な功績でも有りその名を冠に掲げる事ができたと思います。
外見からも引湯の割当量がきっと多いと想像できました。

帰りに駐車場に行くと大型バス3台で早々とご到着になったのは老人会。
皆さん元気に館内に消えてゆきました。
こちらも元気に帰ろうか。

源泉かけ流し 露天風呂

露天風呂東屋

東北自動車道 那須高原SA

裏磐梯から見た裏磐梯山

桧原湖 空模様が↓↓

温泉分析書

大浴場 緑色のかけ流し





上山田温泉 kamiyamadaonsenーkameyahonten
 

温泉名: 上山田温泉
源泉名: 上山田温泉株式会社源泉混合泉
      (26号 27号 30号 32号 35号 40号 41号 43号 46号井)
泉質: 単純硫黄温泉 (ナトリウムー塩化物・硫化水素塩泉)
     低張性 アルカリ性高温泉
     pH 8.74   陽イオン 194.3mg/kg  陰イオン 435.4mg/kg

源泉温度: 47.3℃

湧出量: 220ℓ/min
湧出形態: 動力揚湯 引湯
注入排出形態: 源泉かけ流し  厳寒期のみ配管温度低下のため加温有
                     源泉混合場所にて加温

効能: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、
     うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、
     健康増進、慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病 


上山田温泉 亀屋本店
長野県千曲市上山田温泉1-37-1
Tel: 026-275-1002




亀屋本店立ち寄り湯受け入れ不可 上山田温泉kkの同質温泉立ち寄り湯 

利用料: 大人 350円  中人 150円  小人 70円
利用時間: 10.00~23.00
休日: 毎月 16日 末日


上山田温泉株式会社 かめ乃湯
長野県千曲市上山田温泉1-27-11
Tel: 026-276-4664




亀屋本店には今回を含めて4回目の訪問です。
それは事件?から始まりました。
この近くの「チョメチョメ館」に予約を入れ、受け入れOKとなっていたのですが、
到着するなり申し訳ありませーん 手違いでお部屋を取ることができませーん。
こちらでお泊りの施設をご案内しますので、どうかそちらのほうへ。
そちらのほうへ向いましたところ、そこは見たことのある亀屋本店。
料金は同じにしますのでと、番頭さん ??
私の記憶では亀屋本店のほうが安かったと思っている。
仏の私としては本領発揮で「わかりました」で、一件落着。

フロントフロアーが改装されており、改装されたフロアーでお茶のサービス。
今回は前回まであった貸切り露天風呂の無料サービスは受けられなかったが、
温泉の泉質は何処に入っても同じもので、内湯、露天風呂で十分でした。

食事時間になって部屋で食事なんて初めての事だと気がつきました。
と言うのは、2回は団体客として、1回はお「試し素泊まり温泉三昧」キャンペーンで。
今はどの旅館も部屋食は少なくなったような気がする。
食事してからのわずらわしさや、仲居さんの出入りがあったりしてね。
食事処や、バイキング形式のほうが私には合っている。

チェックアウト後裏山の姨捨駅からの景観を見に車を走らせました。
ここは鉄道車窓三大景観の一つと言われ、春夏秋冬の景観はここが1番です。
思い込みで2景は見たことも無く、関係者、その他の人、ごめんなさい。
(ちなみに2景は、根室本泉新内駅付近(廃線) 肥薩線矢岳付近)
あいにく薄いガスがかかって長野市方面は霞んでいた。

下って道なりに走らせ温泉の真裏の復元荒砥城に登城する。
完全なる山城で、近世の松山城などとは違い柵や空堀で防御する様子を再現。
大河ドラマ「風林火山」のロケにも使われていたが、その回を見ていなかった。
委託されたような料金所のおじさんののんびりした風情がとてもうれしい。
うれしさを顔に留められるうちに帰路についた。

秋には毎年恒例のクズりんごを買う

ロケのスチール写真

本丸?の城門

荒砥城から温泉街

姨捨駅から千曲川と善光寺平

本来の宿は何処だ!

この後天ぷら等が出てくる

温泉分析書

桧風呂

大理石風呂





飯坂温泉 iizakaonsenーshiniizaka

芝居小屋

温泉名: 飯坂温泉
源泉名: 新飯坂源泉
泉質: 単純温泉 (ナトリウムー硫酸塩泉)
     低張性 弱アルカリ高温泉
     pH 8.48  陽イオン 257.5mg/kg  陰イオン 517.9mg/kg

源泉温度: 58.5℃

湧出量: 95ℓ/min
湧出形態: 動力揚湯  敷地内湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩運動麻痺、関節のこわばりうちみ、くじき、
慢性消化器病、痔疾冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進

利用料: 大人 300円  小人 150円
利用時間: 13.00~21.00 (要問い合わせ)


飯坂温泉 新飯坂
福島氏飯坂町赤川端17
Tel: 024-542-4234





快晴の空、今まで霧の中で見ることが出来なかった蔵王の火口湖。
見えてしまえば特にどうと言うことはない、見るまでが楽しみな景色です。
目的を達したからには早々と降りに入りましたが、途中の景色も良かったです。
白石ICからあっと言う間の福島ICで、降りてからのほうが時間がかかる。

分かりにくい旅館までの道でしたが何とか辿り着きました。
近代的でも、きれいでもありません、家族経営の民宿といった方がぴったりです。
私はこっちの雰囲気も好きで、板の間のドタバタ音も良いですよね。
露天風呂は本館から離れた一角にあり簡単な屋根と板塀で囲ってありました。
湯船は大きく内風呂の2~3倍もあろうかと思えるくらいです。
隣に空になった前浴槽らしい設備があり、これも使えたらすごい。
実際使われていたのでしょうね団体旅行華やかりし頃には。
今は管理が大変なのと、客層の変化で大きい物は使われなくなったんでしょう。
完全かけ流しの湯船は夏は大変らしく客の好みで加水する事ができます。

翌日はフルーツラインで自家用と土産用にりんごを買い、吾妻スカイラインへ。
上るにつれ木々はまばらになり、尾根筋に出ると全く植物環境が変わります。
荒涼たる環境の中唯一つ人間様だけが、砂地を這うアリのごとく動き回っていました。
もちろん、その中の一人
天地創造を想い見れば、この若い大地の息吹を、おー神よ 許したもう
大げさな事ですみません、です。

国道115から岳温泉横を通り二本松ICに向っていると菊人形の旗がひらめいている。
10月も末のこの時期つるべ落としとの競争になるかもと思いながらよってみる事にした。
幸い3時頃には高速下を通過して、10分余で会場につくことが出来た。
二本松城跡の会場にはまだ多くの人で賑わっていた。
二本松の菊人形は有名らしく、私も聞いたことがありますが、観るのは初めての事。
立派な物ですね、いい仕事しています。
大河ドラマの影響でしょうか、山内一豊がらみの戦国物の菊人形が多かった。

廻りも薄暗く感じるようになり閉園も近いのでしょう、帰る方も多くなってきました。
これから暗くなっての約3時間の道のりを安全運転で。

吾妻小富士のお鉢

鉢底

中央山内一豊と奥の鼓は千代

一豊は電動で廻る

清洲会議左より 池田恒興 柴田勝家
羽柴秀吉と三法師 丹羽長秀

二本松藩 戊辰戦争の少年隊

アルマジロ

ゾウガメ

不動沢橋

旧不動沢橋の橋脚の一部

御釜湖

県立蔵王レストハウス

中庭 何故か剣が

玄関

成分分析書

内風呂 源泉かけ流し

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乗鞍温泉 のりくらの宿舞 山のお宿滝見館  上高地・乗鞍高原

上山温泉 月岡ホテル

南紀勝浦温泉 ホテル浦島  熊野三山・伊勢神宮

岳温泉 陽日の郷あずま館 

上山田温泉 亀屋本店

飯坂温泉 新飯坂

浅間温泉 湯々庵枇杷の湯





浅間温泉 asamaonsen-biwanoyu

温泉名: 信州松本浅間温泉
源泉名: 浅間温泉1号・2号・3号・・・等混合泉
泉質: 単純温泉(ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉)
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 8.8  陽イオン 128mg/kg  陰イオン 264.4mg/kg

源泉温度: 49.1℃

湧出量; 不明
湧出形態: 引き湯 動力揚湯 自然湧出
注入排出形態: かけ流し 加温 循環ろ過殺菌

効能: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩運動麻痺、関節のこわばりうちみ、くじき、
     慢性消化器病、痔疾冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進

利用料: 大人 800円  小人 500円
利用時間: 9.00~21.00
休日: 毎週月曜日 祝日の場合翌日


浅間温泉  湯々庵・枇杷の湯
長野県松本市浅間温泉3-26-1
Tel: 0263-46-1977

内湯旅館 枇杷の湯 表札
現在日帰り専用温泉として営業

2ヶ所ある露天風呂 Ⅰ
男女交代利用

露天風呂 Ⅱ

内風呂 男女入れ替え

屋根付き半露天風呂 男女入れ替え

浅間温泉温泉分析書

内風呂 Ⅱ

半露天風呂 Ⅱ

高温サウナ風呂

重厚な宿泊棟 現在宿泊不可

石川康長(数正の子)手植えの松
石川家2代松本藩主

飲泉処 湯処の湯も飲泉可

信州松本藩の緒家藩主の御用湯殿として続いてきた湯守小口家
その後温泉旅館として続けてきたと言う。
建築家屋のみならず内庭も年代を思わせ、庭師の枝切りの音が心地よい。

惜しむらくは籠の世と違い浅間温泉では最も奥まったところにあり、
車でのすれ違いも難しい袋小路の詰まった場所にあります。
ですが、⇒でないと思うのですが対向車はありません。
近頃の温泉施設と違った雰囲気を求めたいのならここはお薦めです。

館内の施設は畳敷き、テーブル4卓で10~12畳ほどの休み処と、
イス付きの談話室風休み処があります。
その他旅館をしていた関係で貸し部屋が在るかも知れませんが、確認をしていません。
館内いたるところ清潔で手入れがされています。

玄関から出て左奥4~5m登った所に御殿の湯(露天風呂)があります。
外出用の下駄が備えてあるのでこれを利用します。
すいているので気ままに勝手な事をやっても睨まれませんが、其れはあなたしだいです。

食事処は無く飲料の自販機が置いてあるのみで、
子供連れには不便なところでもあるかもしれません。
近くに2009年にリニューアルオープンした温泉施設があるので
子供さんにはこちらの方が喜ばれると思う。


ほっとぷらざ浅間
松本市浅間温泉3-16-3
Tel: 0263-46-6273

利用料: 大人 630円  小中学生 350円  小学生>無料
利用時間: 10.00~24.00 (最終受付23.00)
休日: 毎週火曜日 (祝日の場合翌日)



湯守小口家は石川数正の三男の子で石川家改易後小口を名乗ったと言う。
石川数正は松平家譜代の家老でしたが、人たらし秀吉に取り込まれ、
大坂に走り徳川家裏切りで有名な人物。
ただこの人物像も徳川の世のものであり戦国の世、主を変えた武将は数多い。
家康自身忠誠を誓った豊臣家を火塵とともに裏切ったと考える人もいるかもね。

そこで家康戦略と思い浮かぶのが、数正と示し合わせの合意が有ったのではないか。
秀吉は特別数正を必要としていたわけでなく、
側室?に横恋慕して家康の困った顔を面白がっただけかもしれませんし。
その後、豊臣の政に大きくかかわったとの話も聞かれませんし、
東山道筋の一大名で身代も大きくはありません。
関東の押さえとする気があるならば戦備の関係から2~3倍以上の経済力を与えていなければ無理でしょう。

その様な家康ならば関ヶ原の中仙道秀忠隊遅参も裏の顔が見えてくる気もします。
東海道家康本隊と、いきりたつ豊臣武断派の東海道隊。
黒沢明監督「用心棒」が実に400年前にくりひろげていたのです。
つまり、豊臣政権内主導権争いに乗じ内部崩壊を企て同士討ちを演出したのであります。
文治派は同じ文治派の家康の行動を糾弾しているのであって、
豊臣武断派を攻撃していたのではありませんからね。

文治派の家康は其処を巧みに利用したのです。
力伯仲が戦えばどちらも無傷とはならず、
東軍が敗北した場合は中仙道を落ちればよいだけです。

其処にいるのは秀忠率いる無傷の別働隊が旧支配地の信濃から関東へ導くでしょう。
勝利した西軍は畿内周辺の鎮圧を優先し追撃はしないとみる。
東北諸藩も積極的に打って出る野心家は伊達、佐竹くらいで、
長期の関ヶ原になる可能性大です。
結論は中山道別働隊はわざと理由を作り遅れてきたのです。
其れも三河以来の忠誠を誓う、本隊以上の精鋭の別働隊であったのです。
秘密は知られてはならず、秀忠を叱責し面目を失う様に演出したのです。
何も知らされていない秀忠こそ関ヶ原の立役者だったのです。

この若しかしたらの結果は判りませんが求心力の無い政権は長くは続かないと思います。
権力を握り恐怖政治に走った英雄の晩年は立川文庫の題材ではありません。
賎ヶ岳をピークとした面白さは私だけでしょうか?

敗因を作ったとされる長浜城主柴田勝豊の居城を訪れた事がある。

松を植えた康長は徳川政権の争い?に翻弄され改易の憂き目を見ることになる。

松本市史跡
  御殿山 小笠原家廟所
 松本城の基礎を築いた初代小笠
原家の城主小笠原貞慶と秀政、忠
脩父子を祀った廟所であり、特に
忠脩の遺骨が埋葬されている。
 五輪塔は向かって右より秀政、貞
慶、忠脩で、秀政は臨済寺殿、
貞慶は大隆寺殿、忠脩は法性寺殿
とそれぞれ埋葬された寺名に関係
深い戒名がつけられている。
 なお、現在の五輪塔は貞享二年
(1685)松本城主水野忠直
によって、建立された。
 マタ、当時の御霊屋は天保十二
年に消失したままで、石垣を残す
のみである。
昭和六十一年一月
      松本市教育委員会

    御射神社   春宮

一、 古代は浅間社(宮)といい、當春宮は三才山の山ノ神の
     里宮で、春には里に下って田の神となり、冬になると
     三才山に帰って山の神となった。
一、 今からおよそ八〇〇余年前、文治二年(一一八六)吾妻鏡にのる
    庄園(社寺や貴族の領地)の中にある古社で本郷六ヶ村
    (浅間、水汲、原、洞、稲倉、三才山)を社領とする古くて
    大きな社であった。
一、 當社は別当寺として神宮寺を持つ格式の高い社でおよそ
    七〇〇年前の正応五年(一二九二)中国の僧「円空」が神宮寺にて
    大般若経を写経し、浅間社へ奉納しており、その一部が
    社宝として保存されている。
一、 およそ六五〇年前の建武年間(一三三四~五)浅間郷の地頭
    赤沢氏が諏訪から御射山神社を勧請して御射神社と名称
    が変わり、浅間の社が春宮、三才山の社が秋宮となった。
一、 當社の祭神は古くは、大山祇命であったが後に諏訪大社
    と同じ健御名方命、八坂刀売命、事代主命が合祀され、
    地域の平安、家運長久、五穀成就、繁栄の守護神として
    崇められている。
一、 當社の祭りは、神を押鉾に乗せて運ぶ祭りが主体であっ
    たが後に松明祭りが取り入れられ有名になっている。
一、 松明祭りのいわれは、田の虫送り行事(害虫駆除)や
    神様が松明の煙と共に、三才山の秋宮へお帰りになる行
    事から初められたといわれ、以前は二晩行われたが、
    現在は十月三日の晩に行われている。
一、 現在の社殿は明治二十七年四月横手に大火で類焼し同年
    九月に再建され、本殿は神明造になっている。
   
    平成十九年三月吉日 
                      御射神社春宮社務所

枇杷の湯から徒歩5分

徒歩5分

社内にある道祖神3態

丸岡城麓望

本丸登城石段

丸岡城天守閣  「重要文化財 別名霞が城」

 天正三年(一五七五)織田信長が北陸地方の一
向一揆の平定を期して、豊原寺(現在地の当方約
四km)を攻略した。
信長は柴田の甥、伊賀の守勝豊を豊原へ派遣し城を築かせた。
天正四年勝豊は豊原城を丸岡に移した。
これが現在の丸岡城になる。
柴田勝豊のあと、
安井左近家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次等が一時
これを支配しその後、本多成重以下四代の居城となったが、
元禄八年五月有馬清純の入封以来、明治維新にいたるまで、
八代にわたって有馬家の領有する事となった。
平章館(現在の平章小学校)の創設者、
有馬誉純(五代)は文教政策に力を注ぎ、文教の礎となる。

 明治三年三月、版籍奉還後、同四年九月官有となり、
さらに民有に移り、明治三十四年八月町有となる。
その間、周濠は埋められ、
城門、武家屋敷等の建物は売却または譲渡され、
現在わずかに天守閣とその付近の石垣の小部分を残存するだけとなった。

 昭和九年一月三十日、国宝に指定されたが、
昭和二十三年六月二十八日、
福井大震災により倒壊、
昭和二十五年八月二十九日、国の重要文化財に指定され、
昭和二十六年十二月復元に着手、用材は八十%近く古材を使用し、
昭和三十年三月三十日修理復元され現在に至る。

 本城は二重三層、外観は上層望楼を形成し、
通し柱を持たず、初重は上重を支える支台を成す。
構架法、外容ともに古調を伝え、屋根は石瓦(笏谷石)で葺き、
基礎の石垣は野面積み、
これは我が国城郭建築史上、現存の天守閣の中で、最古の様式のものである。

トイレを借りました福邦銀行丸岡支店
行員の方トイレドア前で監視
マニュアル通り ありがとう

バス停から天守までゆっくり15分

天守からの眺め

城入り口左側面

石瓦

野面積石垣





酸ヶ湯温泉 sukayuonsen

温泉名: 酸ヶ湯温泉
源泉名: 酸ヶ湯混合泉(鹿の湯 冷の湯)
泉質: 含硫黄-アルミニウム・カルシウム-硫酸塩泉
     低張性 酸性高温泉
     pH 2.06  陽イオン 416.2mg/kg  陰イオン 1870mg/kg(成分合計2791mg/kg)

源泉温度: 42.2℃

湧出量: 測定不可
湧出形態: 自噴 自然湧出
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病 動脈硬化症 高血圧症
     神経痛筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進

温泉名: 酸ヶ湯温泉
源泉名: 熱湯
泉質: 含二酸化炭素・鉄・硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉
     低張性 酸性高温泉
     pH: 1.76  陽イオン 522.2mg/kg  陰イオン 2872mg/kg(成分合計5417mg/kg)

源泉温度: 48.1℃

湧出量: 110ℓ/min
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 源泉掛け流し

効能: 同

利用料: 千人風呂 玉の湯各1回入浴券
        大人: 600円  小学生: 300円  小学生未満: 無料

       休憩所利用及び入浴回数制限なし券
       大人: 1000円  小人: 500円  小学生未満: 無料

利用時間: 7.00~18.00  玉の湯: 9.00~17.00  休憩所: 8.00~15.00


酸ヶ湯温泉
青森県青森市荒川南荒川山国有林酸湯沢50
Tel: 017-738-6400




青森駅前バスターミナル十和田湖方面8番乗り場(JRバス)
途中休憩を含め約1時間15分 酸ヶ湯温泉まで1300円。
シーズンで無いので乗車券は事前に購入しなくても乗ることができた。
普通は乗車券と指定券を予め購入する。
11月初旬と中途半端な季節で、とりわけ車窓からは見るべきものは少ない。
それでも、遠く岩木山が望め、青森市街の遠望と八甲田山が折り良く観えた。

途中の休憩はかやの茶屋。
各種土産物や無料の飲料水、長生きの茶が提供されている。
ここからの八甲田山群はゆるやかな裾野姿が美しい。
八甲田ロープウェイ山麓駅に停車し、酸ヶ湯温泉に到着した。

正面入り口

酸ヶ湯温泉混合泉 成分分析書

酸ヶ湯温泉熱湯 成分分析書

ひば千人風呂 HPより

玉の湯

酸ヶ湯温泉  三内丸山遺跡

一般客室

かやの茶屋

かやの茶屋からの八甲田

釜で提供の長生きの茶

死ぬまで「だいじょうぶだぁ~」

復元高床式倉庫であろう建物

復元竪穴式住居

復元大形掘立て物柱
権力の象徴縄 文人の天守閣?

落日の丸山遺跡
縄文人も見たのであろう

復元大形竪穴式住居

特別史跡 三内丸山縄文遺跡

青森駅前食堂で腹ごしらえの後青森港青函連絡船の外見を見学。
内部資料館は時間の関係上入館せず。
地上部と船部鉄道連結部など、子供でも原理がわかりやすいシンプル イズ ベスト。.
.
駅前バス停運転免許センター行き乗車、三内丸山遺跡前下車。
遺跡品展示及び事務管理等に入ると定時ガイドが有ると書かれていた。
事前知識も無いのでお待ちくださいと書かれている場所で待っていたが、
10分過ぎてもガイドさんらしき人はいっこうに現れない。

用件を言ってたずねたところなにやらあわてて聞きまわっている。
しばらくしてガイド予定者(ボランティア)の到着が遅れているとの事でした。
其れでしたら待っていますと答えたところ又もや電話をしている様子。
どうやらガイド希望者が私1人であったのであきらめると思ったのかね。
でも、息を切りながらガイドさんの到着です。

女性の方でしたが個人授業並みの贅沢な思いで恐縮。
ガイドさんも見学者の皆さんに「ご案内します」と声をかけられていましたが、
結局男性1人だけ応募、正直私もほっとして(いろいろな意味で)3人同行になりました。

やはり遺跡見学のような考古学(大げさ)は予備知識があったとしても、
案内を頼んだほうが良いと思います。
あそこが野球場を建設していた場所であるとか、新幹線が直脇を通るとか、
復元建物はほんの一部で、多くは埋め戻され地中の眠りに入っているとか、
現在地は小高くなっていて脇に川が流れているところまで海が迫っていたとか、
遺跡の落日を見て、今の季節にこんな綺麗な夕陽を見たのは初めてと語るなど、
遺跡+αはそのときどきにより違えどもαは間違いなくαでした。

ガイドのお礼を言って別れた後バス停の近くで散策、と「アラ」とさきほどガイドさん。
一寸の立ち話をして別れ際、青森も新幹線で近くなるので又来てくださいね。
言われて私はひと時のロンリネス。


特別史跡 三内丸山遺跡
青森市大字三内丸山  Tel: 017-781-6078

青森ベイブリッジ 斜張橋

青函連絡船 八甲田メモリアル
係留ロープも丈夫そう

駅外食堂 ホタテカレー

八甲田船尾鉄道連結部

このバルブは何でしょうね

大滝温泉 遊湯館





大滝温泉 遊湯館 ootakionsen-youyukan

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温泉名: 大滝温泉
源泉名: 大滝温泉三峰神の湯
泉質: ナトリウムー塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性温泉
     pH 8.4  陽イオン2236㎎/㎏  陰イオン 3520㎎/㎏   
     成分総計 5892㎎/㎏

源泉温度: 33.1℃

湧出量: 80ℓ/min
湧出形態: 掘削 湧出
注入排出形態: 加温 循環ろ過消毒 かけ流し

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病
     神経痛筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進

利用料: 大人 600円  小人 300円
利用時間: 10.00~20.00(4月~11月)  10.00~19.00(12月~3月)
休日: 毎週木曜日(祝日営業) 年末 季節営業あり(問い合わせ)


大滝温泉 遊湯館
埼玉県秩父市大滝4277-2
Tel: 0494-55-0126



秩父鉄道三峰口駅から10kmたらずR140の左側。
道の駅大滝温泉の道路標識もあるので迷うことはない。
物産館もあり食堂も併設しているので地元食材を味わえる。

案内板には温泉成分が濃いとのうたい文句が見られたが、
多くがナトリウムイオン(2172㎎/㎏)ー塩素イオン(3163㎎/㎏)で占められていて、
それらを除くと単純温泉クラス?
海水浴でもここの成分の5~6倍の濃度があるので濃度をあまりにも強調するのもなぁ。

とはいえ、休みを入れても3時間以上御厄介になり、
リラクセーションを満喫し帰途についた。
目的達成!!

荒川の渓谷 紅葉

食彩センタ 郷路館

休み処

露天風呂から荒川の流れ

地階にある露天風呂

大浴場

温泉成分分析書

遊湯館 玄関

上高地 安曇野 松本城記述記  温泉と観光→温泉その4→白骨温泉

湯田中温泉郷  清風荘 





湯田中温泉郷 清風荘 sinnyudanakaonsen-seifuso

温泉名: 新湯田中温泉
源泉名: 新湯田中1号、2号、ホナミ3号混合泉
泉質: 単純温泉
     低張性 中性 高温泉
     陽イオン 247.0㎎/㎏  陰イオン 430.4㎎/㎏
     成分総計 834.0㎎/㎏  メタケイ酸 113㎎/㎏  メタホウ酸 30.1㎎/㎏

源泉温度: 52.2℃

湧出量: 不明
湧出形態: 不明
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、
     うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、
     健康増進、慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病 

利用料: 300円
利用時間: 8.00~20.00
休日: 無休(問い合わせ)

新湯田中温泉 清風荘
長野県下高井郡山ノ内町大字平穏3263
Tel: 0269-33-3295

平清露天風呂

信山桧風呂

平安風呂

清風荘

温泉成分分析書(旧源泉)

三社神社

三社神社

湯田中新地(新湯田中)の守護神として明治二十三年に創建されました。
安芸の国宮島から弁財天、京都伏見から稲荷神、出雲大社から大黒天を
それぞれお迎えして、三神合祀なので「三社神社」の名が付けられています。

社殿に保管されている刀剣は「永和三年」の銘がある備前長船師光の作で
「町宝」に指定されています。
                       案内説明より

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長電長野駅~湯田中駅「ゆけむり号」

長野駅~善光寺下駅まで地下化
写真 善光寺下駅

長野電鉄 1000形特急

小田急ロマンスカー10000形「HiSE」が湯田中駅間の特急として甦っていました。
白地に浮かぶ色は小田急時代と違って長野電鉄の赤系色に塗り替えています。

総じて地下鉄駅は騒音?レベルが高いのですが、この地下鉄の騒音レベルは3㏈は高く感じました。すご~い
周囲の騒音などの違いにより高く感じたのかもしれません。
因みに、善光寺下駅での乗車客は3名でした。

新湯田中温泉共同浴場

温泉名: 新湯田中温泉共同浴場鶴の湯
源泉名: 共益会3号ボーリング源泉
泉質: 含硫黄 ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 8.1  陽イオン 475.2㎎/㎏  陰イオン 848.9㎎/㎏
     成分総計 1560㎎/㎏  メタケイ酸 174㎎/㎏  メタホウ酸 59.1㎎/㎏

源泉温度:94.2℃

湧出量: 75ℓ/min
湧出量: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 源泉かけ流し

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病 動脈硬化症 高血圧症
     神経痛筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進

利用料: 無料(温泉宿利用者に限り)他に亀の湯が有り
利用時間: 6.00~17.00
休日: 無休(問い合わせ)


新湯田中温泉旅館組合

湯田中温泉観光協会
長野県下高井郡山ノ内町大字平穏3080
Tel: 0269-33-2141

鶴の湯 浴槽

温泉成分分析書

旅館から渡された電子?鍵

入口の穴に差し込みます ジジィーと音がして開きます 最後のィーは小さく発音します 

東山温泉 くつろぎの宿 新滝





東山温泉 新滝 higasiyamaonsen kuturoginoyado-sintaki

温泉名: 東山温泉
源泉名: 東山温泉 新滝温泉
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性温泉
     pH 7.7 陽イオン 511㎎/㎏  陰イオン 992.4㎎/㎏  成分総計 1559㎎/㎏

源泉温度: 36.9℃

湧出量: 11.8ℓ/min
湧出形態: 自然湧出
注入排出形態: 加温  

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病 動脈硬化症 高血圧症
     神経痛筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進


源泉名: 組合混合泉(管理組合2号 組合1号、4号 伏見ケ滝)
泉質; ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 8.1  陽イオン 509.2㎎/㎏  陰イオン 990㎎/㎏  成分総計 1553㎎/㎏

源泉温度: 45.9℃

湧出量(配湯量):26ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 源泉かけ流し


源泉名: 不動滝庭園混合泉(不動滝庭園1号 組合混合泉)
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 7.6  陽イオン 543.7㎎/㎏  陰イオン 1051.4㎎/㎏  成分総計 1654㎎/㎏

源泉温度: 52.3℃

湧出量(配湯量):82ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒

利用料: 大人 1000円  小人 500円 (わたり湯浴槽利用)
利用時間: 15.00~20.00
休日: 無休(問い合わせ)


くつろぎの宿 新滝
福島県会津若松市東山町湯本川向222
Tel: 0242-26-0001

くつろぎの宿 新滝

温泉成分分析書

千年の湯 天然岩風呂

千年の湯 大理石風呂

千年の湯 川沿いの露天風呂

土方歳三縁の猿の湯

猿の湯 露天風呂

わたり湯

くつろぎの宿 千代滝

最上階 展望の湯

最上階展望の湯 露天風呂

展望の湯から会津若松市街遠望

くつろぎの宿 千代滝

源泉名: 組合混合泉(管理組合2号 伏見が滝 組合1号、4号)
泉質: ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉
     低張性 弱アルカリ性高温泉
     pH 8.0  陽イオン 506㎎/㎏  陰イオン 986.9㎎/㎏  成分総計 1547㎎/㎏

源泉温度: 45.9℃

湧出量(配湯量): 26.7ℓ/min
湧出形態: 掘削動力揚湯
注入排出形態: 加温 循環ろ過 消毒

効能: 切り傷 やけど 慢性皮膚病 虚弱体質 慢性婦人病 動脈硬化症 高血圧症
     神経痛筋肉痛 関節痛 五十肩 運動麻痺 関節のこわばり うちみ くじき 
     慢性消化器病冷え性 病後回復 疲労回復 健康増進


くつろぎの宿 千代滝
福島県会津若松市東山町湯本寺屋敷43
Tel: 0242-26-0001

会津 什の掟 (露天風呂にて)

什の掟

一 年長者に言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三 虚言を言う事はなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱いものをいぢめてはなりませぬ
六 戸外でものを食べてはなりませぬ

ならぬものは ならぬものです

デザート

竹久夢二 宵待草の歌碑(新滝橋向詰)

大正ロマンと言えばその名がすぐに思い浮かぶ竹久夢二(1884~1934)は、
会津に大変ゆかりの深い放浪の画家であり詩人でした。

岡山県邑久郡本庄村に生まれた夢二は、文学の道を志しますが転じて絵画の道に進みます。
二十四歳のときに岸たまきと結婚、彼女をモデルにした目の大きな独特の美人画が人気を博します。
いわゆる夢二式美人画で、明治末から大正初期にかけて正に一世を風靡しました。

夢二は恋多き人で、放浪の生活の中で幾たびか恋をし、その切ない思いや傷ついた心を、画や詩の中に純粋に表現し、
それが多くの人々の共感を得ました。

夢二が最初に会津を訪れたのは明治四十四年(1911)の三月半ば頃、知人の家に立ち寄った後、東山温泉に逗留しています。
その後、大正十年(1921)と昭和五年(1930)にも会津を訪れており、多くの人々と交遊し、多くの画や詩を残しています。
とくに有名なのは大川端に揺れる月見草(マツヨイグサ)から詩想を得た「宵待草」の詩です。

夢二は東山温泉が大のお気に入りでした。
もちろん気に入ったのはお湯だけではなく「とんぼ」という芸妓をモデルとした絵も残しています。

「竹久夢二 宵待草の碑」は夢二ファンによって、当初大川の川岸に建てられましたが、
土地問題で東山温泉の雨降り滝前に移転、その後ケーブルカーの駅前に再度移転、そこも廃止となり現在地へと移されました。
丸で夢二と同じように放浪を続けることになったのです。

                                             案内説明より

   与謝野晶子 歌碑
明星派の浪漫主義歌人として明治、大正、昭和の三代にわたって歌壇に大きな功績を残した与謝野晶子は、
明治四十四年(1911)八月、与謝野寛、水上滝太郎、佐藤春夫、万造寺差違、江南文三らと吟行の旅に出て、
飯坂からこの地(会津)に来遊した。
その折、ここ新滝旅館に宿をとり、緑深い山間の風情と湯川の清流にしばし旅の心をやすめた。
滞在中に詠んだ歌は歌集「青海波」に収められている。

その後、二十数年を経て昭和十一年(1936)九月、
息女藤子、円城寺貞子らと猪苗代、裏磐梯から情緒あるこの清閑な山の湯にひかれて再遊、その情趣を愛でて作品を残した。
歌碑に刻んだ歌はこの時詠まれたもので、「会津詠草」と題した内の一首で、遺歌集「白桜集」に収められている。

当新滝旅館では与謝野晶子曽遊ゆかりの地として、永く偉大な歌人を顕彰すると共に、
また偲ぶよすがとしてここに歌碑を建立した。
歌碑に刻んだ文字は当館所蔵の与謝野晶子直筆の歌から採ったものである。

                                             案内説明より

与謝野晶子 歌碑(新滝橋前詰角)

朝食はバイキング

まてどくらせど こぬひとを
      宵待ち草のやるせなさ
こよいは月も 出ぬそうな 
                  夢



湯の川の 第一橋をわがこゆる
      秋の夕のひがし山かな
                  晶子

会津伝承田舎料理

湯泉神社

東山温泉 湯泉神社

天平年間(729~748)に高僧(大僧正)行基が創建した東光寺は、
明治の神仏分離により廃止されて「羽黒山湯上神社」となりました。
湯泉神社は湯上神社の里宮にあたります。

かっては修行をする霊場として栄えたと云われています。
現在では東山温泉の守り神として厚く信仰されています。

羽黒山 参道大鳥居

本宮に続く参道
  
奥ノ院までは千二百五だんの石段があり、
途中三十三体の観音菩薩が安置されている

大鳥居脇のモミの巨木

大鳥居脇のソメイヨシノの老木

手水舎 公園の手洗い場のようです

見られなくなった射的場健在

ほっと東山  東山温泉芸妓のお店

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参道入り口で参拝です

磐椅神社  土津神社  野口記念館  喜多方 蔵とラーメン   三春町 滝桜




磐椅神社 iwahasi-jinjya

磐椅神社 拝殿 本殿 御神木杉

御祭神 大山祇神・埴山姫命(おおやまずみのかみ はにやまひめのみこと)
相殿 木花佐久夜毘賣命・磐長姫命(このはなのさくやびめのみこと いわながひめのみこと)
    品陀和氣命・息長足姫命(ほんだわけのみこと おきながたらしひめのみこと)

会津はもとより県内外の人々から「いわきさま」と親しまれている社は歴史が古く、その格式は東北でも有数で、
延喜式内社勅祀社・神階正一位・旧県社・陸奥国神従四位.会津総産土神と名高い。

その起こりは、はるか昔、応神天皇の御代(弥生時代)の神功皇后摂政50(西暦250)年の時、
武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神なる[大山祇神・埴山姫命]を磐椅山[いわはしやま](現在の磐梯山)
の頂上に鎭座された。
又、元明天皇の御代、和銅年間の草創とも云われている

その後、聖武天皇の御代(奈良時代)の天平元(西暦729)年八月二十五日、見祢山南麓の現在地に遷座し、
相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭りました。
これらの神々は縁結び・豊作祈願・方除開運など全ての開発開運の神様として名高く古来有名です。

平城天皇御代、大同元年(806)夏、万代山破裂により社殿損障によって、嵯峨天皇の御代、弘仁四年(813)、御造営されました。
文徳天皇の御代、斎衡三年(856)正月陸奥国、「石椅神加従四位下」と文徳実録に見える。
この神号、磐椅、岩椅、石椅となるを、明治二年(1869)、民政局より磐椅(いわはし)との通達があり改めた。

十世紀の始め、「延喜式」の神名帳に、磐椅神社は耶麻郡一座にとしてあり、
昔は神殿門、廻廊、鐘楼のほか数座の末社が連なり、当時は神輿の渡御、流鏑馬などの神事が行われていたという。
立派な神輿は社殿に保存されています。

村上天皇の御代(平安時代)の天暦元(西暦947)年、勅使の派遣があり、その時に桜樹を奉献して社殿を修復した。
この時の桜樹が大鹿桜である。
花弁の中から葉が出るという珍しい桜で、見ごろは5月5日~10日ごろ。会津五桜の一つである。

順徳天皇の御代(鎌倉時代)の猪苗代城三浦経連が承元元(西暦1207)年、現在の所に旧社殿のまま御遷座され、
杉を植えて、これを鳥居杉と命名した。

天正年中、伊達政宗による摺上原の合戦後、一時衰微したが、会津藩主保科正之公が、
寛文年中(江戸時代1660~1672年)に社殿を造営した。
万治2年、正之公が当社に参詣して、没後は末社とすることを告げて神事を行う。
よって当社の西側に末社として土津大明神(土津神社)が造営され、正之公は奥の院の墓所に眠っている。

会津磐梯山は明治21年の大爆発で変形したが、以前の山容は整い、山頂は高く天に向かってそびえ立っていて、
石(磐)の梯(はしご)のように見えて、まさしく「いわはし」の山であった。..

このようにして、古い歴史と社格を持った磐椅神社は会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として、
人々の信仰のよりどころであり、会津の土着の信仰に基ずく神体山崇拝の神社で磐椅明神・峰明神として
古々より東北の文化的・精神的な一大支柱として今日にいたっております。

                                               案内説明より

境内社 稲荷社

境内社 八幡社

鳥居杉 天然記念物(町指定)

大鹿桜  天然記念物(町指定)

別名「翁桜」とも称され会津五桜の一つに数えられている名木で、
花の色が白色から次第に鹿の毛の色に変化するところから、
この名前が付けられた。

社伝によると、今より約一千年前の天歴年間(947~957)村上天皇の勅使が
参詣の時に京都から持ってきて植えたとなっている。
現在はその桜の子孫である。

樹の種類はサトザクラの一品種である。
花の中心からおしべが緑化したものが出ているので、
ちょうど花の中から葉が出ているように見える珍しいものである。

福島県緑の文化財登録第一号である。


   鳥居杉
元久二年甲子(1205)、猪苗代城主三浦経連が磐椅神社に社領を寄進し、
二年後の承元元年(1207)夏、大鹿桜の傍、現在の土田堰の南に在った神社を
現在地に遷座して、この時鳥居の杉として社前に植樹されたのがこの杉で、
樹齢約七百七十年である。

山麓の堰 土田用水路

神社までは約400mあるよ

左、西側の杉は、幾度かの落雷で半月状空洞状態となり、昭和三十三年八月の猛烈な台風で地上約15mを残して倒潰し、
現在の姿となった。
とはいえ、磐椅神社の御神木、鳥居の杉として古い歴史を語り、信仰の中心の御社の尊厳を保っている。

                                             案内説明より

神社への参道

参道の道しるべ 斜面を下って200m

田中正玄の墓

田中三郎兵衛正玄は保科正之公の重臣である。
正玄の父は佐渡銀山奉行であった。
慶長十八年(1613)六月佐渡に生まれ十六歳で信濃高遠にて正之公に仕えた。
後、累進して家老となった。

資性温和 大器量の人であった。
正之公江戸のあって四代将軍家綱の補佐役にあたられたので、その留守の間会津藩の執政を預って大きな功績を挙げられた。
その政務に当っては、
一 君の心を正すこと  二 士を愛すること  三 庶民をあわれむこと
この三つに留意しこれを実行に移された。

寛文十二年(1672)五月二十八日、病で卒せられた享年六十二。
城下の諸士庶民と共に親を喪ったごとく嘆き悲しんだと云われている。
正之公も
「正玄我に仕えること四十年、忠貞の誠つくし一度も私をさし狭んだ事を謀った事は無かった あヽ天なんぞ我に先立たせたか」
と嘆かれた。
六月二日、磐梯山の南麓に葬られた。

この年の八月二十一日正之公は自らの墓地を見祢山に定め、
帰途正玄の墓に立ち寄られ 「正玄ここにあるか われも近くに参るぞ」と仰せられた。
供の者、皆流涕して仰ぎ見ることができなかった。
御手掛けの松が残されている。

                                         案内説明より

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土津神社 保科正之墓所 hanitu-jinjya

土津神社 鳥居と神橋

   国指定史跡 会津藩松平家墓所
土津神社の御祭神である土津霊神・保科正之公は、二代将軍徳川秀忠の第四子、三代将軍家光の異母弟で、
信濃高遠藩主・保科正光の養子であり、寛永二十年(1643)出羽山形藩を経て会津に封ぜられ会津松平家の始祖となった。
晩年に至るまで神道を尊信し、吉川惟足を師として専ら卜部家神道の伝えを学び、道の奥義を極められた。

寛文十一年(1671)正之公は惟足から霊号を『土津』と奉られた。
土津の意は、惟足によると、土(つち、はに)は宇宙構成要素の根本であり、万物の始めと終わりであり、真実の主体であると。
その道理を公は体得された。

また公は会津の領主であるから会津猪苗代江によって「津」の字に無関係ではない。
故にこの二つから「土津」と申し上げたと言っている。
言い換えれば、宇宙の万理を究められた会津藩主の意と言ってもよいのである。

公はこの時、『余の没後は神道の霊をもって磐椅神社の神地に葬ってもらいたい』という遺書を老臣立ちに与えて、
御子・正経公に伝えさせた。

寛文十二年(1672)八月二十一日、公は自ら猪苗代に参られ見禰山に登って墓地を定め、
『わが身はここに納めてくれ』と家臣に命じられた。
そして『万代と祝ひ来にけり会津山高天の原にすみかもとめて』と詠まれた。
惟足はかたわらにあって、御歌に応えて『君ここに千歳の後のすみところ二葉の松は雲をしのがん』と詠じた。
公はことのほか感じ入られて、帰城されたという。
帰途公はこの年に没した家老田中正玄の墓に立ち寄られた。

同年、寛文十二年十二月十六日、江戸の戻られた公は容態すぐれず、老臣・友松氏興を病床にお呼びになり葬事奉行を命じられ、
戸板真五郎を副役として後の事を託された。
同年十二月十八日霊神ご逝去。
そこで、友松氏興は公の遺命どおり神道の礼を尽くして身禰山に葬り、惟足を招いて葬事を行った。

延宝元年(1673)、神祇官領長・吉田兼連が御神体を奉じて仮殿に安置した。
この時より、壮大にも壮麗な神殿の営築を開始し、延宝三年(1675)八月十九日竣工。
同二十三日正遷宮の式を行い、御神体を正殿に安置し、磐椅神社の末社とした。

土津神社は、神殿・回廊など奥日光または東北の日光と云われるほど荘厳壮麗であったが、
明治の戊辰の役の兵火で、神殿がことごとく焼失した。
今の社殿は住民の力により明治十三年(1880)七月の造営の成るものである。

                                             案内説明より

拝殿

本殿

神楽殿

手水舎

拝殿に付属の神事神官控殿

会津藩松平家所縁境内社 手前から
岩彦、信彦、久彦、幸彦の霊神

   岩彦霊神
保科正之公に嫡子 保科長門守正頼公は寛永十七年(1640)十二月四日江戸桜田門会津藩上屋敷に生まれ、
明暦三年(1657)二月一日風邪のため死去。
享年十八歳。


   信彦霊社
城代家老田中三郎兵衛正玄。
正玄は十五歳のとき信州高遠で正之公に仕え、寛永九年(1632)より寛文六年(1666)まで三十四年間家老を勤め、
寛文七年(1667)より寛文十年(1672)まで五年間城代家老を勤めた。

正玄は正之公より二歳年下にて正之公の絶大なる信頼を得て世を去るまで、君臣水魚の交わりをし、
元服の際には正之公の諱の「正」を貰え、正玄と名乗った。
家老、城代家老として正之公の意を呈し、国政に尽力して大功があった。
正玄は寛文十二年(1672)五月二十八日病没した。
享年六十二歳。


   久彦霊社
家老井深茂右衛門重光。
元和二年(1616)十月信州高遠に生まれ、万治二年(1659)十一月四日組頭より家老に任命され、
正経公及び正容公の家督相続の節には将軍家へ御目見を許され、知行は二千二百石までになり、
正之公、正経公、正容公の三代に渡って家老を勤め、元禄二年(1689)老齢のため家老を辞職した。
元禄十三年四月十三日病没した。
享年八十三歳。


   幸彦霊神
家老築瀬三左衛門正真。
寛永十四年(1637)山形最上で正之公に拘へられ側近に仕え信頼され、諱の一字を頂き正真と名乗る。
寛文三年(1663)三月十八日家老に抜擢された。
三左衛門は正之公、正経公、正容公の家老職を勤めて忠節をつくし、大功があった。

元禄三年(1690)家老職を辞職。
宝永七年(1710)病没した。
享年九十歳。

                                            案内説明より

正之公生誕四百年 高遠小彼岸桜
高遠町(現伊那市)より寄贈

高遠町長故北原三平寄贈の小彼岸桜

十三代当主松平保定小彼岸桜記念樹

有栖川宮殿下御手植記念樹

東久邇宮殿下御手植記念樹

秩父宮妃殿下御手植記念樹

東山松平家墓所の霊神之碑

土津神社霊神之碑

会津松平家初代藩主保科正之公の履歴を刻んだ石碑で、碑文は山崎闇斎が撰文し、字数は一千九百四十三、
筆者は当時第一等の能筆家土佐佐兵衛高庸である。

神社の碑石としては日本最大のもので、石柱の高さ一丈八尺(約5.5m)、幅六尺(約1.8m)厚さ五尺余(約1.5m)で、
竿石は八田野(河東町)、亀石は猪苗代町土町の東から取り出した。

伝説によると、初め亀石は南向きに置かれたが、眼下には猪苗代湖が見え、亀は一夜のうちに湖まで這い出してしまった。
そのため亀を北向にしたところ、二度と這い出す事は無かったと云う。

亀は中国伝来の瑞獣の一つで、松平家の将来の繁栄を祈願したものと考えられる。

                                                 案内説明より

磐椅神社側の鳥居

社務所

保科正之公墳墓

会津藩松平家初代藩主『保科正之公は寛文十二年(1672)十二月十八日江戸上屋敷に於いて六十二歳で亡くなられた。
正之公は「吾が死せば磐椅神社の末社となりて長く奉仕せん」と自らの埋葬地を
猪苗代湖が一望できる磐梯山山麓に決めていたので、二代藩主正経は遺言通り墳墓の造営にあたった。

最初南北六十間(一丁 約110m)東西五十間(約90m)を整地し、その中央に小屋を建て棺を安置し、
その周囲南北三十間(約55m)東西三十二間(約58m)に柵を作り四方に鳥居を立て、
三月二十六・二十七の両日にわたって葬儀を執り行った。

その後、棺の所に円墳を築き頂上に「土津神墳鎮石」と刻んだ八角形の鎮石を建てた。

                                                     案内説明より

会津中将 源君之墓 石塔

土津神墳鎮石塔

会津松平家 三葉葵家紋
葉脈が平坦であるのが特徴で
河骨紋との指摘もある

土津神社から続く参道
神社から徒歩約15~20分
車でも行けるが駐車場の指定は無い

正之公が見た磐梯山麓と猪苗代湖




野口記念館

野口英世記念館

1928年(昭和3)5月21日、野口英世博士が西アフリカで殉職したのち、東京でも追悼会が行われ、
その折りに出席した人々により「野口英世博士記念会」を設立する話がまとまりました。
記念会の最初の事業として、翌年に生家の保存と二つの記念碑を建立、そして1938年(昭和13年)には、
文部大臣より財団法人の設立が許可され、その翌年の博士の命日には念願の「野口英世記念館」が開館しました。

野口英世博士は、明治九年(1876)十一月九日、この家に生まれた。
幼名を清作とよび、猪苗代尋常小学校卒業後その学力の秀でる事を見込んだ篤志家の援助により高等教育の道を歩んだ。
その様な生い立ちと野口英世の性格もあり、明治三十三年(1900)アメリカに渡り、
主としてロックフェラー医学研究所で医学、病理学に従事した。

明治四十四年(1911)に医学博士、大正三年(1914)理学博士の学位を受けた。
その時の論文は実に百八十六編の多きに達した。
昭和三年(1928)五月二十一日、アフリカガーナのアクラで黄熱病の研究中、不幸にして自らがこれに感染し、五十一歳で死去。

  Through devotion to science he lived and died for humanity
  (科学へ身を賭した野口世博士は そこで人類のために生き そこで人類のために死んだ)

                                           案内説明より

記念館入口の野口英世胸像

覆い屋根に護られた生家

八幡神社  土津神社の神社札

火傷を負った囲炉裏

養蚕器具道具

居間

桑の木と誕生地石碑

柱に彫った決意文

道具類と保存食凍み豆腐

台所

屋根裏の養蚕部屋?

上京するとき柱に刻んだ決意文

志を得ざれば
再び此の地を踏まず

明治二十九年九月初旬、
十九歳で上京するとき、
床柱に全身の力を込めて、
小刀で刻みつけた。
清作青年の決意を物語っている。

敷地内の小川

忍耐の石碑


   野口英世が生まれた家
この家は、野口家二代目野口清太郎の代の文政六年(1823)に建てられたものです。
英世はここで少年時代を過ごしましたが、その後家屋の傷みがひどく、
大正三年(1914)に隣の家を購入して家族たちは移り住み、この家は小屋代わりに使用していました。
野口英世記念会が設立されると、生家を保存・公開することになり、現在に至っています。


   母シカが植えた桑の木
シカは生計を支えるためにあらゆる仕事をしました。
その中でも養蚕は大変良い収入になるものでした。
最盛期になりますと、家の中が蚕棚でいっぱいになるほどでした。


   誕生地石碑
野口英世博士記念会によって昭和四年(1929)に建立されました。
この石碑の下にはメリー夫人から送られてきた英世の遺髪が埋葬されています。
碑文 「野口英世博士生誕地」 の題字は会津藩主松平容保公に子で、会津松平家十二代当主松平保男氏の書です。


   清作(英世)が一歳半の時に落ちて火傷をした囲炉裏
清作が一歳六か月となった明治十一年(1878)の四月末、
母シカが洗い物をしている間に這い出してこの囲炉裏に落ちて左手に大やけどを逢いました。


   洗い物などをしていた小川
英世が火傷をしたのは母シカがこの小川で洗い物をしている時でした。


   忍耐の石碑
この石碑は野口博士記念会によって昭和四年(1929)に誕生日石碑と同時に設立されました。
碑文「忍耐」の文字は大正四年(1915)に帰国した時に書き、母校の翁島小学校に寄贈された英世直筆の書が刻まれています。


   観音堂
明治十一年(1878)四月、英世(清作)が一歳半の時に大やけどを負わせてしまった母シカは、
小さい頃祖母より教えられた観音経を唱え続けた。
その時から母は、遠く離れた中田観音を信仰し続けて、生涯にわたり家族の無病息災を祈願した。

野口英世記念会ではその意思を継承し、昭和十四年(1939)記念館の開館と共に救世観音を祀った。
観音胎内には小林栄先生がアメリカの英世に贈った年持仏が、台座には中田観音の御分霊が納められています。

                                               案内説明より       

観音堂

千円札に印刷された写真




喜多方市 蔵の町とラーメン

野口英世記念館なら望む磐梯山の山容

少年期に見た磐梯山のその後の移り変わりは自ら故郷を捨てる決心の要因になったのだろうか?

功をなし故郷に錦を飾ったときその山は英世に何を語りかけたのだろうか?

我がすべてを知っている磐梯山に尊厳の姿を見出した気がしている。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

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餃子 (大き目)

チャーシューラーメン

ネギラーメン

中国料理 源来軒

元祖喜多方ラーメン 「源来軒」翌日の昼食

喜多方にラーメンを広めた元祖ラーメン店。
店前には由来の看板が掲げられていた。

   元祖喜多方ラーメン
大正のおわり頃、中国大陸から蔵の街喜多方に移り住んだ当店店主は、
手打ちの麺で屋台を引きながらラーメン造りを広め現在に至っている。

喜多方地方の気候風土に合った味づくり、手打ち麺で、
店主の頑固なまでのラーメン造りに対する姿勢今も昔と変わりません。

故に、当店は喜多方ラーメン発祥の店と謂われています。
ぜひ一度ご賞味下さいませ!



店構えから内装テーブルに至るまで赤を基調としている。
テーブル席で椅子は30脚ほどで満席時は狭く感じるとおもわれる。
店内には来店客の色紙が貼ってあるが、名前の判読はかなわない。
煮干しの風味が際立つスープであった。

温泉その11  上山温泉 天神の御湯 あづま屋より転記

会津民俗館

公益財団法人 野口英世記念館
福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字前田81
Tel: 0242-85-7867


会津民俗館
福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字前田33-1
Tel: 0242-65-2600

旧馬場家住宅

旧佐々木家住宅

水車小屋

製蝋小屋


   旧馬場家住宅 (国指定重要文化財)
約三百年前に建てられた中流農民の民家。
奥会津地方独特な建築様式で、曲屋(まがりや)ともいわれています。

当時の農作業には欠かせない馬を家の中に入れて一緒に生活していたので、厩中門造りともいいます。
 (昭和四十九年 南会津郡伊南村小塩より移築)


   旧佐々木家住宅 (県指定重要文化財)
安永二年(1773)に建てられた、当時肝煎(きもいり)と呼ばれる名主をつとめた佐々木家の住宅です。
佐々木家は、建久二年(1191)佐原十郎義連に従って会津に入った栗城小太郎を祖とし、以後三十七代続いた名家です。

明治時代には村役場として使用された吹き抜け天井総欅(けやき)造りの建物で、
外観は二階建て、三階は隠れ部屋となっています。
 (昭和四十二年大沼郡金山町玉梨より移築)


   蝋釜屋 (国指定重要有形民俗文化財)

   水車小屋
江戸時代、会津で一番古く建てられた水車小屋で、共同の作業小屋として米つきに使用されたものです。
今では大変貴重な資料です。
 (昭和四十八年 大沼郡会津高田町永井野より移築)

                                       案内説明より

子安観世音菩薩堂

会津民芸館入口

坂内食堂 午後2時半
店内で10名ほどの列

ネギラーメン

駐車場3時半 ゆとりがあった

喜多方ラーメン 福嶋屋

喜多方ラーメン館

おたづき(小田付)蔵通りの蔵

昔この付近は、小田付といわれていました。
小田付村は、蘆名氏統治時代の重臣佐瀬大和種常によって、この地の四区民が集められ、村をつくったといわれています。
その後、蒲生氏郷統治時代には、市場が開設され(現在も一月十七日に初市と称して続けられています)、

定められた日には、多くの人々が集まり、また、代官所も置かれ、米沢への街道筋として栄えていました。
今、ここで見られる土蔵の家並みは、明治中期に建てられたもので、
店蔵や蔵屋敷が連なり、当時の町の形態を大変よく残しています。


   遠藤宗平宅
遠藤家は元は米屋・質屋を営んでいました。
表通りに面して建つ重厚な造りの座敷蔵は今も生活の場として使われています。
裏にある蔵は米蔵を改修して住居にしたものです。
表から裏まで蔵が連なっている様子は圧巻で、蔵のまち喜多方の象徴的な風景です。

                                            案内説明より

遠藤宗平宅

小原酒造酒蔵

小原酒造 新酒 杉玉

大森家店蔵

馬車の駅 停留所

金忠 味噌・醬油・漬物店

   小原酒造酒蔵(江戸時代から続く酒蔵)
享保二年(1717)創業の古い酒蔵です。
仕込みの時に重要な働きを担い頑張っている酵母に「モーツアルトの名曲」を聴かせ日本酒を醸造しています。
ご希望の方には酒蔵内をご案内いたしますので、係員までお申し付けください。
 店主 小原嘉左衛門


   金忠豆〇 (Kanechu Mamemaru) 
味噌醤油の老舗。
砂壁造りの風情ある店蔵です。
店蔵の座敷は、大船底天井が緩い曲線を描く風雅な造りになっています。
付け加えられた煉瓦のよく調和する右側の蔵も価値ある建造物です。 

                                         案内説明より   

味噌田楽喫茶 金忠豆〇

小田付代官所跡石碑

   史蹟 小田付代官所
江戸時代の代官所は、江戸幕府及び諸藩の直轄地で、年貢の徴収や作事・農政・治安をつかさどった地方官が、
その事務を執った役所です。

会津藩では、天明七年(1787)から寛政年間(1789~1801)にかけて、家老田中玄宰による藩政改革が実施されました。
この改革により、郷頭の権限は大幅に縮小され、四郡(会津・河沼・大沼・耶麻)に一人ずつ郡奉行を置いて、
代官に二から三組を支配させることとなりました。

小田付代官所は、小田付・小荒井の両組を管轄し、熊倉・上三宮・塩川の三代官所と共に河沼郡浜崎郡役所に属しました。
文久二年(1862)閏八月二十五日、熊倉・上三宮・六町原・黒川・野沢の五代官所が廃止され、
上三宮代官所にあった五目・慶徳の両組も小田付代官所に属することとなりました。

小田付代官所は、蘆名氏四宿老の一人佐瀬大和守種常の居館小田付館の館跡に
会津松平家藩政期の天明八年(1788)三月十五日に設置され、幕末に及んでいます。

                                                  案内説明より

石碑は稲荷神社境内にある

代官所跡に鎮座する稲荷社

蔵の屋根部分気抜き

蔵店舗

喜多方ラーメン 蔵々亭

和飲蔵酒店

夢心酒造株式会社

甲斐本店 (国登録有形文化財)

甲斐本店は、味噌醤油の醸造を専業とした旧家で、醸造蔵と店蔵、蔵座敷が保存されています。
特に蔵座敷は、大正六年から七年間の歳月をかけ建築した豪華なもので、その技法・構造は粋を極めたものです。
五十一畳敷きの広い座敷には、書院・本床・脇床が配され、戸縁には紫檀、書院の窓は黒檀、
さらに床柱は、鉄刀木・四方柾の桧、壁は金雲模様が施され、東北地方には例のない立派な蔵座敷です。


   甲斐吉五郎蔵屋敷
隣の甲斐吉五郎本店が、七年の歳月を重ね大正十三年に完成するまでの間、仮住まいをするために建てた蔵です。
越後の棟梁宇佐美与四郎兄弟の様々な試作が見られます。
南壁面は煉瓦造り、北側は白漆喰に煉瓦の腰壁、二階建ての蔵と平屋の蔵が連結した双方トラス工法を用いた蔵です。
平成十九年からベロタクシーの事務所として活用されています。


   五十嵐酒店
蔀戸(しとみど)の残る店内にはこの屋敷内のたたずまいを示す立派な模型があり、
この屋敷は、かって用途別の蔵が群れをなしていたことがわかります。
表通りから見える煉瓦造りの小さな蔵は厠蔵です。


   和飲蔵酒店
元は家業呉服商の商品蔵として使われていたといわれています。
内装に木材が使われているのは、商品が埃っぽくなるのを防ぐ目的がありました。
蔵の持つ様々な特性がワインの貯蔵に適しており、
平成十一年に改修してワインセラー付きのお洒落な酒の小売店舗としてオープンしました。

                                                案内説明より

甲斐吉五郎蔵屋敷

甲斐吉五郎 横道奥より

五十嵐酒店

島新荒物店

中の越後屋

吉の川酒造

塩川屋 新しい蔵造り店舗?


   吉の川酒造
敷地内には六棟の蔵が今も現役で活躍しています。
その中でも貯蔵蔵は瓦の屋根が80㎝位浮いており、蔵と屋根間を空気が流れることにより熱の侵入を防ぎ、
真夏でも蔵の中は23℃までしか上がらない仕様になっています。
また、空調していないため、空気の流れ、湿度の変化、騒音の無い空間となっており、
酒の熟成には最高の環境となっております。


   山中煎餅本舗
蔀戸(しとみど)、座売り空間などが残っており、店蔵としての雰囲気が伝わってこます。
内装はすべて白漆喰で、天井の波打ち工法仕上げは最高の職人技です。


   喫茶 くら
明治時代末期に建てられた蔵で、元々は綿屋の店蔵でした。
昭和五十四年に改修して喫茶店としてオープンしました。
内部の壁も白漆喰で重厚な観音扉が厨房の入口にあります。
二階に上がると釘を一本も使っていない天井の架構がよく見えます。


   中の越後屋
明治の初めに上の越後屋から分家して、中の越後屋と呼ばれる旧家です。
左隣の島新商店同様、岩田家の屋敷を譲り受け、大きな味噌・醤油の醸造蔵を建てました。
粗壁に白漆喰の窓が並ぶこの土蔵から、現在も昔のままの味噌・醤油が東京・大阪・北海道へと出荷されております。

当家の蔵屋敷は、南と東に大きな黒漆喰の扉があって、座敷は二部屋に分れ、
東側の部屋に本床が設けられ、庭を眺められるように造られております。
この蔵座敷は、当家の冠婚葬祭や賓客の接待に用いられるほか、家風を継承する行事の場でもあると言われております。 


   大和川酒造店  大和川北方風土館  大和川湧水
藩制時代、ここ寺町は越後裏街道に通じる入口で、人馬の往来が多く、いつも賑わっていました。

大和川酒造店は、現在八代目を迎え、造蔵三棟、貯蔵蔵二棟を有し、内一棟は藩政時代に建てられた酒蔵で、
素朴な骨組みや小屋組み、土板が今に遺され、
酒蔵の入口には注連縄が張られ、婦女子は不浄者として、昔は一切蔵に入れなかったといわれています。

また、蔵座敷は、加賀清呉服店から移築したもので、やはり藩政時代に建てられた由緒ある蔵です。
中では、酒造りに使われた古い道具やこの地方の民具が展示されています。

現在、町の郊外に酒造蔵を新設して以来、現敷地内の旧酒蔵・母屋を酒蔵見学施設に、
旧仕込み蔵をイベント会場に活用しています。

この湧水は飯豊連峰の万年雪が伏流水となって湧き出し、酒造りに適した冷水です。


   若喜商店・北門  蔵座敷(登録有形文化財)
初代冠木喜祖右衛門が宝暦五年(1755)にこの地で味噌・醤油の醸造をはじめました。
奥に見える煉瓦蔵は明治三十七年八代目喜祖右衛門が樋口市郎氏に依頼して登り窯で煉瓦を焼き、
煉瓦職人の田中又一氏が積み上げた蔵です。
正面二階建てと奥の三階建ての二棟が棟続きになっており、正面二階建てはバルコニー風の玄関がついた洋風建築です。
八代目は建築の造詣が深かったようです。
内部は、一階が八畳の「縞柿の間」、二階は七畳敷きの「欅の間」になっており、引き出しのついた階段も欅造りとなっています
一階の調度類は総てが木目の美しい「縞柿」、二階は総てが「欅」で造られています。
襖と壁には華麗な花鳥山水の障壁画が描かれており、これらの絵はわざわざ絵師を招き、家に逗留して描いたものです。
昭和五十五年NHKの土曜ドラマ「天才画の女」ではドラマのロケ地として使われました。

                                               案内説明より

喫茶 くら

山中煎餅本舗

島慶園茶店

会津信用金庫喜多方支店

大和川酒造店 

島屋婦人服店

大和川酒蔵北方風土館

旧大和川醸造所

大和川酒造店辻角の湧水

松本屋

若喜商店 煉瓦造り蔵座敷外壁

若喜商店 煉瓦造り蔵座敷

若喜商店 北門

曹洞宗 小荒山安勝寺

曹洞宗安勝寺は応永二十九年(1422)、熱塩示現寺の僧、源翁三世の法孫雲光和尚の創建によると伝えられています。
現存する土蔵の本堂は、明治十三年の大火で全焼した本堂を再建したものです。

なぜ土蔵の本堂と不思議に思われることでしょうが、当時としては外火から守るには土蔵以外にはなかったようです。
(明治十三年の大火では土蔵造りの家屋だけが残りました)
そのためか、当時の住職は苦労し、托鉢を日課として本堂再建資金を集めました。
本堂には、再建にあたっての住職高橋越道の筆書が残されています。

本堂は、七間半に六間半の大きさで、けやき、松材を使用し、表面出入り口には、土戸・板桟戸・障子戸の三重戸を設け、
窓には土戸、カラスをつけ、特に防火に重点を置き、火から佛を守ろうとした心遣いが感じられます。

                                               案内説明より

白漆喰の蔵造り本堂

観音堂

北宮 諏方(訪)神社

参道 拝殿

安勝寺 庫裡

六地蔵堂

弁才天堂と弁天池

佐牟乃神社

拝殿と本殿

神社境内の瓜生岩子胸像

瓜生岩子生誕の地記念石碑

瓜生岩子

此の地は日本のナイチンゲールといわれる瓜生岩子生誕の地です。
岩子は、明治時代の初めに社会慈善家として活躍した会津の女性です。
社会福祉の先駆者としての岩子は数多くの功績を残しました。
また、岩子は二百余名の孤児の母でもありました。

瓜生岩子は、文政十二年(1829)小田付村(今の北町)の油商、
若狭屋利左衛門の長女として生まれました。
九歳の時父を失い、続いて家も焼失したので、
母に従って母の生家熱塩の瓜生家に身を寄せました。

自らは若くして夫と死別し、四人の幼児を抱えて、生活の苦難を味わいながら、


明治戊辰の役には戦場に於いて敵味方の別なく、負傷兵の看護に尽くしました。

明治と改元になっても引き続き幼学校、裁縫教授所開設、宗教による道義高揚運動、家庭紛議の調停、
授産場の設備援助、職業紹介、東京市養育院への援助や済生病院、無料宿泊所の設置などに奔走しました。
その社会事業への貢献を賞せられ、明治二十九年(1896)女性として初めて藍綬褒章を授与されました。

明治三十年(1897)四月十九日
慈愛に満ちた六十九年に渡る生涯を終えました。
昭和三十一年、生家に近い氏神の佐牟乃神社境内に胸像が建立されました。

                                             案内説明より                                                    




三春町 滝桜

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福島県田村郡三春町

観桜利用券発券所
料金 一名300円  以前は駐車場利用で一台500円外任意の滝桜保護管理費
収入は大幅アップか? 収入に対する桜保護事業費は0.7%らしい。

自動発券機

料金徴収確認ゲート

午後3時頃


エドヒガン系の紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)で、大正11年10月12日、根尾谷の淡墨ザクラ・山高神代ザクラなどとともに
国の天然記念物の指定を受けた名木です。

日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つに数えられ、岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけられています。
樹齢は1,000年以上といわれ、樹高は13.5m、根回りは11.3m、枝張りは幹から北へ5.5m、東へ11.0m、南へ14.5m,
西へ14.0mの巨木で、近くから見た姿は圧巻です。


                                             三春町滝桜案内説明より

出店 重要な収入源でしょうね 観桜料の数倍の売り上げ?

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