栃木・群馬のいろいろ2


日光の社寺  杉並木 


















  神橋
聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、昔「山菅橋」あるいは「山菅の蛇橋」とも呼ばれ、
日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成十一年十二月に世界遺産に登録されました。
橋の長さは28m、橋幅7.4m、水面より最高さ10.6mで、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が設けられ、
乳の木と橋板の裏は黒漆塗で、その他の部材は朱漆で塗られています。

奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、
寛永十三年(1636)に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛共進使などが
参向の時のみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架け通行することとなりました。
昭和五十七年男体山鎮座千二百年祭斎行に際し、昭和四十八年よりその奉賛を目的として広く一般に公開され、
平成九年より今回の大修理が行われました。

山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我が国唯一の古橋であり、
日本三大奇矯(山口県・錦帯橋、山梨県・猿橋)の一つに数えられています。

                        二荒山神社 神橋案内説明より  

  天海大僧正(慈眼大師)
天海は比叡山で天台宗の奥義を極めた後、德川家康に仕え、日光山の貫主となる。
当時の日光は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極みであった。
家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山に埋葬された家康の遺骨を日光に移して、
東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人である。
天海は、寛永二十年(1643)十月二日、百八歳で大往生した。
この銅像は、日光出身の彫刻家・倉沢実の作である。


  板垣退助
板垣退助は、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる土佐国(高知県)出身の明治時代の政治家です。
明治の初期に自由民権運動を展開し、自由党を結成した。

明治元年(1868 慶応四年)戊辰戦争の時、板垣は新政府軍の将として、
日光廟に立てこもった大鳥圭介を中心とした旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から護ったと云われます。

板垣退助の銅像はその遺徳を讃え昭和四年に建造されたが、最初の像は第二次世界大戦中に軍需金属回収に徴収され、
現在の像は昭和四十二年に再建されたものです。
彫刻家・新関国臣の作です。

                                案内説明より

社務所 朱印・御守り授与所

丸石 心は丸く・・・「気心腹人己」

斎館 社務所

本殿 覆い屋根で修復中

千鳥破風棟瓦

相の間と本殿

本殿 

拝殿

拝殿向拝彫刻

拝殿向拝柱木鼻彫刻

周囲の山からは石垣で守られています

透塀

  唐門  国指定重要文化財
唐門とは、中国風の門と言うことです。
総金箔造りで、軒下には丹頂鶴、白龍が、玉垣にはたくさんの鳩、左右の壁には秋の七草が彫刻されています。
門前にある左右の大きな燈籠は、德川御三家(紀州・水戸・尾張の德川家からの献上品です。


  夜叉門  国指定重要文化財
四体の夜叉の阿跋摩羅(あばつまら)・毘陀羅(びだら)・揵陀羅(けんだら)・烏摩勒伽(うまろきゃ)が安置され、霊廟を守ります。
夜叉門には。牡丹の花が彫刻されているので、別名「牡丹門」とも呼ばれています。
なかでも青い「烏摩勒伽」は、弓を持つため破魔弓の発祥とされ、全国でも珍しい仏様です。


  拝殿・本殿  国宝
大猷院の中心となる建物で、国宝に指定されています。
ここでは月に一度、法要が行われています。
特に家光公の御命日にあたる四月二十日の法要は大きなものになります。
手前から拝殿・相の間・本殿と、三つの部屋の並ぶ造りを「権現造」と言います。
たくさんの金箔が使われていることから、別名を「金閣殿」と呼ばれています。


  皇嘉門  国指定重要文化財
家光公の廟所への入り口の門です。
中国明朝建築の龍宮造りで、別名を「龍宮門」と呼ばれています。
この門の奥に家光公の墓所があります。

                                   案内説明より

唐門 向唐門

毘陀羅(びだら)

烏摩勒伽(うまろきゃ)

阿跋摩羅(あばつまら)

揵陀羅(けんだら)

烏摩勒伽 弓を持つ

烏摩勒伽 膝に小象で
膝小僧の語源との説もある 

德川御三家寄進の燈籠

白龍

鶴の彫刻

夜叉門 獏の彫刻

夜叉門 木鼻の獅子の彫刻

夜叉門 国指定重要文化財

夜叉門 唐破風の斗栱と彫刻

夜叉門の袖

鏝絵らしき画が両袖にある 案内板によると秋の七草と書かれていた

神橋袂傍の深沙王堂(じんじゃおうどう)

神橋が架かる大谷川

  深沙王堂(蛇王権現堂)
「山菅の蛇橋」の伝説にあるように、勝道上人一行が大谷川を渡れないでいる時に、
二匹の蛇を放って一行を助けた「深沙大王」を蛇王權現として祀っている。
橋渡しの神という信仰から「縁結び」、また、蛇信仰から「商売繁盛」の信仰もある。
社殿は昭和五十三年に再建したものである。

                   案内説明より

寄進 銅製燈籠

鼓楼

鐘楼高欄

鐘楼

鼓楼

大猷院旧別当竜光院

銅製燈籠

寄進石燈籠

宝庫

御水舎

御水舎唐破風懸魚

御水舎 妻の水波の彫刻

仁王門 妻側の彫刻

那羅延金剛

密迹金剛

金剛力士阿形像(密迹金剛)

金剛力士吽形像(那羅延金剛)

仁王門木鼻の彫刻

仁王門(銅瓦葺三間一戸八脚門
と参道石段

法華堂 露盤火焔宝珠

斗栱と獅子彫刻

法華堂

常行堂 露盤相輪

常行堂

常行堂向拝蟇股 龍の彫刻 

寄進 石燈籠

寄進 石燈籠

大猷院石標と仁王門

大猷院 徳川家光廟所





日光山輪王寺 nikkouzann-rinnouji





日光の社寺


日光二荒山神社  日光山輪王寺  日光東照宮    杉並木





下野国一之宮日光二荒山神社
  nikko-futarasanjinjya

「菓子の神」田道間守の像(大国殿前)

神苑 高天原神事斎行処

弘法大師手植と伝う高野槇 
樹齢約1000年と記されているが
弘法大師手植であれば
少なくとも樹齢1200年以上であろう

神楽殿

日枝神社

社号扁額

神楽殿 大国像

御神木 二荒山境内一の巨樹
樹齢700年 高さ60m 目通6.35m

霊泉傍の休み処「二荒霊泉」茶屋

若子神社遥拝所

親子杉

手水舎

拝殿

社号標

神門

鳥居 社号扁額

鳥居

バス停留所二荒山神社の正面参道
東照宮の西参道

神木 縁結の神木
杉に楢が宿り木している

獅子狛犬像

獅子狛犬像

御輿殿

日光・太郎杉 深沙王堂脇に立つ
高さ43m 目通り5.75m 樹齢推定550年

板垣退助之像

天界僧正之像

境内側からの神橋

境内側からの神橋

神橋 立ち入りは出来ません

神橋石標

神橋

銅鳥居 重要文化財

社号標と楼門

日光連山遥拝所と男体山を主峰の日光連山の峰々
女峰山 大真名子山 小真名子山 帝釈山 赤薙山 太郎山 白根山の神々

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玉垣の中に墓所があります

皇嘉門 (龍宮門)

  常行堂
嘉祥元年(848)に慈覚大師円仁によって、比叡山延暦寺の「にない堂」に模して建立されました。
純和風の宝形造で、隣の準唐風の法華堂との間に、歩廊を設け接続されています。
この形式が大変珍しいもので、現在では比叡山延暦寺と、ここ輪王寺常行堂の二ヶ所のみとなっています。

常行堂の御本尊は、宝冠五智阿弥陀如来です。
平安時代末期の仏像で、国の重要文化財に指定されています。
宝冠を頂き、孔雀に乗ったお姿です。
法・利・因・語の四菩薩を周囲に配し、それぞれもまた孔雀に乗ったお姿です。
このような形でおまつりされているのは、大変珍しく、全国でも唯一と言われています。


  常行三昧 修行の道場
その昔、常行堂では、常行三昧と言う修行が行われていました。
これは九十日間という長期にわたり、念仏を唱えながら仏様のまわりを歩き続けるというものです。
座る事や横になることは許されないという、大変厳しいものでした。
その為、内陣は本尊の後に空間があり、周りをぐるりと回れるようになっています。
常行三昧にならい、まず仏様の周りを時計回りに進み、のち正面でのお参りが正しい作法となります。


  仁王門  国指定重要文化財
二体の仁王像(金剛力士像)がお祀りされています。
向かって右の密迹金剛は「阿」と口を開き、左の那羅延金剛は、「吽」と口を結んでいます。
物事の始まりと終わりを表し、また「阿吽の呼吸」の語源になったとも言われています。


  御水舎  国指定重要文化財
九州の大名鍋島勝茂(肥前国佐賀藩初代藩主)公が寄進した御影石の御水舎です。
天井には、狩野永真安信による龍の絵が描かれています。
水面に移る姿から「水鏡の龍」と呼ばれていました。


  二天門  国指定重要文化財
世界遺産、日光の境内で一番大きな門です。
左に持国天(東方の守護神)、右には広目天(西方の守護神)が安置されています。
正面「大猷院」の扁額は、百八代天皇・後水尾上皇宸筆された文字です。
「大猷院」とは、家光公の戒名・《大猷院殿贈正一位相国臺霊》の初めの三文字からとったものです。


  展望所
ここから下を見ると、たくさんの石燈籠が並んで建っています。
この燈籠は、十万石以下の大名からの献上品で、それらの大名は、二天門から先に進むことは許されませんでした。
ここからの眺めは、天上界から下界(人の住む世界)を見下ろした風景を想像させます。


  鐘楼・鼓楼  国指定重要文化財
参道右側に鐘楼、左側に鼓楼がそびえています。
鐘楼には梵鐘が、鼓楼には大きな太鼓が納められています。
大きな法要の際には、この梵鐘と太鼓が打ち鳴らされました。

                                  案内説明より

天上に登る石段

展望所

修復中の二天門と後水尾上皇宸筆
額が取り付けられているが本物?

常行堂~法華堂の歩廊(渡り廊下)

  狛犬
獅子や犬に似た想像上の生き物とされています。
起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。
中国を経て飛鳥時代に日本に伝わり、当初は獅子であり、左右の姿に差異は無く、開口した姿であったと云われます。
平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿形・吽形の開口・閉口の像が対で置かれるようになりました。
現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。

二荒山神社の狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、
台座は日本三大名石と言われる茨城県産の青糠目石です。
良縁の文字枠には男体山頂出土の八稜鏡を象ったものです。
全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。

栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、
平成二十七年十二月に奉納されました。
ここに、あらゆる良い縁を願い「良い縁狛犬」と名付けました。


  神苑 高天原
高天原は、古事記・日本書紀では天津神の住み給う場所とされています。

二荒山神社に於いては、例祭(弥生祭)の前日四月十六日午前九時半、
滝尾神社の姫神の御輿を本社・本宮の主神と御子神の御輿が迎え、
この場所で三御輿出会いの儀式「高天原神事」が執り行なわれる神聖な場所です。
その儀、八乙女(巫女)が三御輿にそれぞれ御神酒を捧げ、当社に古く伝わる「御前神楽」を奏して神々を称えます。

その後、三御輿はそろって拝殿に着輿し、神饌十二台を捧げて着輿祭が執り行なわれ、
その翌日に、例祭を執行する慣わしとなっております。


  二荒霊泉
霊峰二荒山(男体山)はじめ日光山八峰の奉拝に起因する当社の境内には、古くから二つの霊水が湧出している。
その一つは老杉に囲まれた本社背後の恒霊山中の洞窟からほとばしる「薬師の霊水」で眼疾に霊験ありと伝えられている名水。
もう一つは恒霊山につづく別宮滝尾神社の清流天狗沢のほとりに涌く「酒の泉」で、酒家の尊崇を集める霊泉である。

この二つの貴重な真清水を本社境内西神苑のこの地に導き「二荒霊泉」と名付けた泉を築いて拝載することとした。
老杉の聖域で御霊水をいただき二荒山大神の広大深重なる御神徳をお受けください。
御霊水の水質は、無色透明、水温十二度、細菌・カビ菌無検出、硬度二十六・六八で飲料に適すると判定されている。

                                  案内説明より

朋友神社 祭神・少名彦名命

昭和天皇皇后陛下・今上天皇皇后陛下
皇族殿下の記念植樹

東武日光駅 

神橋前 土産屋さん
国登録有形文化財(建築物)

恋愛占いの御柱

清水比庵歌碑

唐銅燈籠(化燈籠) 重要文化財

燈籠中台に付いた刀傷 何の為?

二荒霊泉

御神水「二荒霊泉」

御神木?採伐切株

大国殿

楼門 神額

東照宮に続く参道奉納燈籠